店主のひとりごと ~2019年度~

なんか色々とおバカなことを書きたくなって『店主挨拶』のタイトルを改めました。

虫に関係あることもない事も頭に浮かんだよしなし事を書き連ねてみます。

昭和のかまり(匂い)⑩ 恐怖の雪合戦

 

北海道の片田舎で冬季になると遊びの種類がかなり限定されてくる。

凧あげや、雪洞を掘っての基地作りなどもするのだが、いまいち刺激がない。

そこで、危険と知りつつ雪合戦は行われるのである。

それが、同地区の仲間と戦力を按分してABの2チ-ムに分けられた純粋な遊びとしての雪合戦ならまだ全然ましだが、他地区との交流戦はまず間違いなく流血を伴いほぼ喧嘩になる。

まずは普通の雪合戦から始まるのだが、年少者は自陣の後方で雪玉を作り、前陣まで届けるのが役目で、突撃などはしない。

合戦が白熱してくると、どちらからともなく前日から密かに作り置いた雪玉(一晩で凍り付いて固くなってる)を秘密兵器として投げ出すようになる。

一方的に勝負がつく場合はそうでもないけど、これが実力伯仲という戦になった時が一番危ないのだ。

やがて雪玉の中にツララを細かく砕いた兵器が混ざり、最後は雪を掘って取り出した小石が雪玉の中に仕込まれる・・・。

合戦の際は毛糸の帽子を着用するのは当たり前。

戦争時の鉄兜のようなものだ。

それでも当たり所が悪かったりとかすると一発で流血戦になる。

『反則の小石を仕込んだのは誰だ!』と叫んだら、そこからは只の喧嘩・・・。

だが、他地区との争いだから負ける訳にはいかぬのよ・・・。

敵の特攻隊がオラの陣地に飛び込んできて後方で雪玉を作っていたサトシが襲われて被弾流血、更にその弟で最年少のまっちゃんが集中砲火に遭い号泣。

オラは、自陣はオラが守るからお前ら特攻しろ!と1歳下のタクヤと2歳下のトモに指令を出す。

彼らは勇敢にアノラックの大きな前ポケット他に雪玉を積み込めるだけ積んで特攻する。

これ以上やったら病院送りが出るかの一つ二つ前で大体終戦となる。

戦いの後は傷ついた戦士たちを医薬品等が豊富なオラの家に収容し、手当をする。

タンコブには唾を塗ってハイお終い!。

裂傷には消毒液掛けてから赤チン塗ってガ-ゼを張って絆創膏で止めて一丁上がり!。

大事なのは傷の手当てもあるのだが、お前は良く戦った、逃げなかった!と年少者を称えてあげるのが重要なのだ。

そんな状態で各自の家に帰しても、その親から苦情を言われたことは一度もない。

だから、結構な割合でみんな歴戦の10円ハゲや砂利っパゲを抱えていたものだ。

しかし、オラにはそんなハゲは一つもない。

防御力に長けていたからね。

 

高校の卓球部の指導に関わる様になってから、、オラがまだ30代くらいまでは選手の頭にこのハゲがある奴がいて、それは田舎から出てきた奴にやはり多かったんだけど、40代に近くなってからはめっきり減って、最近は見たことがない。

ガキの遊びが変わったんだね・・・。

けど、ハゲがいなくなってからめっきりと根性のある奴が減ったのも事実だ。

 

オラの親父の時代にはチャンバラ遊びをするとなったら、その辺のちゃんとした棒でしばきあってたらしいし、九州では15~16歳を過ぎた者の喧嘩にはダイナマイトが使用されてたらしいから、それから比べたら雪合戦なんてやはりただの健全な?遊びだったんかいな。

2020.6.3の農作業

 

本日はかっちゃんに建ててもらった葡萄とサルナシの棚に蔓を絡ませる作業を予定していた。

ところが昨夜から胃の具合がおかしく、眠れないほどのジワリとした痛みと不快感に襲われた。

夜中の3時にたまらず胃痛薬を飲んだら落ち着いてきて漸く就寝。

眠りに落ちたのは多分午前5時過ぎか?。

午前7時44分、スマホの電話が鳴る。

誰だ?オラの安眠を邪魔する奴は!とスマホを手にしたら、中学の卓球部の後輩であるH君だった。

またもや、オラの身を案じて電話をくれたのだった。

三宅島の噴火級の怒りが一瞬で鎮火する・・・。

そこから人恋しくて会話に飢えているオラのために1時間半以上も電話での会話に付き合ってくれた、感謝!。

昔話から取り留めもない会話に花を咲かせたが、中学の卓球部でオラの同級生だったT子という女子部員はもう20年以上前くらいに亡くなったよと言ったら彼は非常に驚いていた。

顔立ちがかわいい子だったので多少彼も年上ながら憧れの気持ちがあったのかも知れない。

中学の部活の先輩と同輩でオラが知る限りもう3人が亡くなっている。

次はオラの番か?・・・。

彼は現在オラ達のライバル校のコ-チをしてるので、コロナの影響が落ち着いたら

練習試合をしようと話した。

 

電話を終えてから棚整備のための資材を購入するため近所のホ-ムセンタ-で買い出し。

葡萄などを楽しむのはあと最大余命が20年とするならば10年ちょい持つものを作れれば十分だろうという計算のもとに設計(ところが今年中に旅立ったりして・・・)。

蔦を絡ませる木材の杭を打ち込もうとするのだが、これがいくら叩いても入らない。

かっちゃんが昨日叩いた鉄管より太くて入りにくい杭をかっちゃんが使用した大ハンマ-より破壊力のないハンマ-で叩きこもうと言うのだから当たり前の話。

何でも屋はバカにはできないと前記事で書いたが早速こういうところに現れるのであるよ。

かくして実働20分後休憩30分を繰り返し、午後5時に作業終了。

今年は枝葉を伸ばし、来年には大幅に整枝し、再来年から果実にまみれる予定である。

2020.6.2 葡萄棚作り

 

シ-ズンインも徐々に近くなってきたので忘備録の意味で日付けを入れていきます。

 

我が家の家庭菜園スペ-スの脇に植えていた葡萄の棚が簡易すぎる素人設計のため崩壊寸前。

その更に隣にあるコクワ(サルナシ)の蔓は親父が植えた梅の木が枯れたのでそれを利用して絡ませていたが、ついに白アリに侵食されて倒壊。

棚の下に植えてた草木の成長に影響するだけでなく、それぞれの実付きも悪くなってたので早急に手を打つ必要にあった。

スチ-ル鉄管でこれらの棚を作らねばならないのだが、知識も体力もなく、トドメに高所恐怖症という致命的欠陥から梯子に登れない。

そこでこの仕事を依頼したのがオラの同級生で、かつて組んでたバンドマスタ-、そして現在は青森市最強の何でも屋という『頑固一徹』の異名をもつ、かっちゃんに来てもらって仕事を依頼した。

オラの家の足が一本曲がった脚立に乗りながら鉄管を大きなハンマ-で次々と打ち込んでいく。

仕事が日々肉体の鍛錬になってる人と半病人でダンコ(尻の穴)抜かれた者との差が露になる。

オラも若い時は結構な体力があったのだが、爛れた生活をしてるとこうなるというサンプル品みたいになった・・・。

作業は順調に終了した。

 

かっちゃんから聞いたのだが、何でも屋の世界で実は彼、現状では若手になるらしい。

主力は60~70代なのだそうだ。

仕事内容が3Kの極みだし、それでいて要求されるのは専門職と同等に近いレベルだから、必要な知識と技術は並大抵ではないから後継者はつくり難いと容易に察しが付く。

この職のスキルが身についてしまえば、あとは営業も多少できると食いっぱぐれはない商売かもしれないが、頭が悪い奴には多分向かない。

効率や安全面、作業後のアフタ-というか、自分のやった仕事がその後大体何年効果を発揮するかとか考えなければならない。

その上で、大工でありペンキ職人であり、造園屋であり等々の知識と経験が求められるのだから、当然と言えば当然。

この職はこの先更に進む高齢化の家庭にとっては有難い存在なのだが、後継者は多分育たないのではと思う。

陸奥湾内のホタテ養殖漁業者も似たようなものかもしれない。

なにせ、80代の現役漁師に言わせれば70代~80代が一人前、60代は青二才、50代以下は鼻タレの赤ん坊だと言うのだから・・・。

青メバル(黒メバル)とあんこう

 

噂の黒メバル(最新の学術的仕分けで黒メバルとされた)を実食。

先に実食したN先輩とコ-ちゃんに感想をレポ-トを依頼。

この魚は我々が今まで食してきた『黒メバル』とは外見上の違いもあり、その食味はやや磯臭いながら、脂の量が遥かに多いと聞いていた。

N先輩は、多少の磯臭さは感じるが脂が多く旨いという感想。

平内町某漁協の準組合員であるコ-ちゃんは、磯臭さは感じない、脂は自分らがこれまで漁獲してた黒メバルと言われたものより多く、旨いとのことだった。

オラも実食。

初日に食べた印象では確かに脂の多さを感じたが、磯臭さはさほど感じなかった。

翌日に前夜の残りを食べたら、より脂のべたつきと甘みを感じながら、なるほどという磯臭さをキャッチした。

この脂のうま味を生かすなら塩焼きが一番いいのではとも思った。

まだまだ世の中には知られてない旨いものがあると思いましたね。

 

このメバルを届けに隣の平内町に住むコ-ちゃんの家に行ったら、お返しにとあんこうをもらった。

大型は少ないみたいだが、意外にも陸奥湾内にもあんこうは居て、沢山採れるのだという。

あんこうはス-パ-で売っている切り身状態でしか扱ったことがなく、最初から捌くのは初めてだ。

多分悪戦苦闘するだろうが、一丁挑んでみようじゃないか。

 

夜の11時過ぎにメバルその他の解体と調理に着手し、あんこうに手を伸ばしたのはおそらく夜中の1時過ぎ。

ユ-チュ-ブで解体の手順を一応確認したが、所謂『吊るし切り』などできる設備もスキルもないのでまな板の上での一本勝負である。

予想はしていたものの、ぬめりが凄い。

コ-ちゃんの家はほぼ漁師の家庭なので、採れた魚、もらった魚全てを処理して利用する。

その為には余分な工程はショ-トカットして構わないという処理をする。

従ってアンコウのぬめりを除去するという作業は一切ない。

とすると出来上がったものは、えてして非常に生臭いものになることが多々ある。

以前、下北のイカ釣り船団の網元からもらったイカの塩辛も臭くて食えなかったという経験がある。

オラがもらったのは一匹だけなので、ここは時間を掛けても丁寧にいこうと決めた。

このアンコウのぬめりというのは半端じゃない。

性感マッサージに使われたら(コブラのおっさんお元気ですか?)その感触とその臭みの両方で悶絶するのではあるまいかという凄まじさだ。

とにかく、ぬめりが邪魔して思うように身を切れない。

全ての調理を経て味見をしたのは午前3時を過ぎていた。

朝もやの中で炊きたての米を入れたアンコウの身と汁を浸したるどんぶりの旨さよ・・・。

 

メバル

 

オラは虫の世界に入り込むまでは魚釣りに血道をあげていた。

テ-マを決めて、磯から50センチUPのアイナメやソイを釣るのだと思い込んだら今動画でもよくやってる、~するまで帰れませんを実践してた。

会社の休みがとれて三連休になったら、昼はアブ、夜は蚊に刺されてボコボコにされても(いや~よくマラリアにならなかったもんだ)24時間以上不眠不休で竿を振り続けたものだ。

立てた自己目標の内訳は因みに、磯から50UPのアイナメとソイ。

メ-タ-オ-バ-のヒラメと鯛、そして40UPのメバルなどだ。

その結果は・・・アイナメ48センチ、ソイ38センチ、ヒラメ68センチ、鯛82センチ、メバル36センチだ。

その他にも目標立てて追いかけた魚種があるのだが、何一つ達成できてない。

惜しかったのは鯛で、それはもしかしたら念願のメ-タ-級だったかもしれない。

82センチを釣った時よりスピ-ドはないが比べ物にならないトルクでオラとN先輩のデブ二人を乗せた船外機付きの3.5メ-トルの小型ボ-トが引きずられた。

N先輩が『絶対逃がすな~!』と叫んだが、なすすべもなくホタテ養殖施設のアンカーロ-プめがけて走られ、擦れて切られた。

あれはメ-タ-オ-バ-だったかの確証はないが90UPなのは間違いないと思う。

この頃の夏泊半島のボ-ト釣りは手軽である上に夢があり、今思い返しても楽しい思い出ばかりだ。

ここの貸しボ-ト屋さんの定置網に入ったコウナゴ(イカナゴ)を生餌で買って浅場の、延べ竿で釣るメバル釣りは初夏からの風物詩だった。

ここでのメバルはアイナメもそうだが、6月に入ると急激に脂がのってくる。

釣って面白く食べておいしい。

刺身もいいが、塩焼きと煮つけは絶品だ。

 

前置きが長くなったが、さてメバルである。

体色などが水深、餌場、地方などで結構異なるので学術上の和名がごちゃごちゃになっていた。

更に地方では、その地方での呼称の分け方をしてたので更に拍車をかけた。

オラは陸奥湾内で採れるメバルは1種類で、それが個体変異で名称が分かれているんだろう程度の認識だった。

それが近年、学者の研究によって3種類に分けられたのである。

クロメバル、シロメバル、アカメバルの三種である。

オラは陸奥湾内で採れるメバルは全部クロメバルで、赤いメバルをアカメバルと呼んでも実は同種だと思ってた。

ところが、オラたちがクロメバルと呼んでいたのは実はシロメバルと分類され、アカメバルもシロメバルとは別種というややこしいことになった。

体色は黒~褐色が多いのにシロメバル・・・。

ここで分かったのが、どうも今回クロメバルと分類された奴はオラたちが恐らく目にしたことも口にしたこともない奴らしいということ。

それはどんな奴だ?どういう外見上と味の違いがある?そしてそれは青森に居るのか?だった。

この疑問に釣り師ながら、虫屋にも参戦してきた天才釣り師であるT島君が答えを出してくれた。

正式な和名として分類されたクロメバルは青森にもいる。

だが、どうも陸奥湾内の奥にはいないか少ないみたいだ。

体表の背の部分が釣り上げたばかりの生きた状態なら青~緑色をしているのでシロメバルとは全然違う。

味はやや磯臭いとこもあるが、脂の量はシロメバルを凌ぐとのことだった。

因みにこのメバルが釣れる現地での呼び方はアオメバルなそうな・・・。

その幻のメバルをT島君が釣ってきてくれた。

今夜その食味を吟味するつもりである。

 

素直に言うがオラが虫屋に流れてきて狂気の採集を始めたのは釣りの世界で敗北を味わったからかもしれない・・・。

そしてその狂気のフェロモンに誘蛾灯に集まる蛾のごとく集まったのが爆弾魔一味なのだろう。

オカマはオカマを見抜き、変態は変態を知る。

先日の我が家での集会に、リンゴの木で作った炭の形が似ているという理由で〇〇ポの形に成型してきて『炭は空気を清浄しますから』とオラへの見舞い品を持参したバカタレがいたが、仕方あるまい・・・。

常識とちょっと外れているからいい大人になってもクワガタ・クワガタと追い回してるわけだからね。

格闘技

 

以前にオラの同級生であるかっちゃんがお相撲さんは実は強いと言いました。

それは他の格闘技と比べ、その中に入れても強いという意味合いの言動でした。

彼はユ-チュ-ブの動画で打撃系の格闘家と現役のお相撲さんのやり取りを見てそう感じたようです。

でもそれは相撲というル-ルの中での話。

およそ格闘技と言っても様々な形態やル-ルに縛られています。

専門のル-ルに慣れた中で修練を積んできた者が強いのは当たり前です。

お相撲さんが色んな格闘技に出ても強いならもっと活躍してるはずでしょう。

横綱だった曙は、現役を引退してから(つまり勝てなくなってから)異種格闘技に出ているから論外だよね。

一番説得力あるのは北尾でしょ。

2メートル近い身長、そして若かった。

けど何勝した?。

お相撲さんは土俵の中で培ったものを発揮できるのであって、キックボクシングも総合も素人なんですよ。

 

かつて世間を風靡した極真空手のキャッチフレーズはフルコンタクト。

現在の総合のル-ルから見たら全然フルコンタクトじゃないですよね。

顔を殴ったら死んじゃうからと言ってたけど悲惨な事件はほぼ起きてない。

そして極真空手出身者で現在の格闘界でトップをいく人も見ない。

下地にそれがあったにせよ、今活躍している選手の殆どはその後積んだ別の何かによると考えられる。

 

アメリカでのMMAとかでは半分の選手がド-ピングしてる。

それがバレても集客力ある選手には寛大すぎる処分。

全くフェアじゃない。

今の格闘技においてかなりフェアだと言える競技はやはりボクシングしか見当たらないと思ってる。

後は政治と金が絡まりすぎてると思う。

今の格闘技界というのは糞汚い世界にしか見えないんである。

 

どの格闘技が最も優れているのか?という疑問を目にする。

そんなものは有りはしないのだ。

誰が最もよく研究研鑽し、修練したかによると思う。

そしてそれは例えば殺人を犯しても罪に問われない時代か場所か状況かでしか積むことができないものかもしれない。

今我々が目にすることができる格闘技というのは全てスポ-ツなのだ。

だからそこにド-ピングも反則も許すべきではない。

現代の格闘技の神はル-ルである。

ル-ルが厳しく裁定できない団体は全て茶番である・・・と思う。

こっくりさん

 

オラが小学校4年生かそこらから全国的に流行ったものがある。

それが『こっくりさん』だ。

紙に鳥居や文字や数字を書いて呪文を唱え、霊界のキツネを呼び出して問答をするというアレだ。

火付け役は間違いなく、つのだじろう氏のオカルト漫画であろう。

完成した呪盤の上に10円玉を置き、二人以上の指先をその10円玉に触れさせて行う。

重要なのは絶対にこっくりさんが無事に鳥居からお帰りいただくまで指を10円玉から離してはいけないということだった。

からかったり邪心をもってこれをすると、こっくりさんのふりをした低級な動物霊が降りてきて憑りついたり災いをもたらすことがあるという注意事項が恐怖心と好奇心をあおった。

始めると、まるで自分の意思とは関係なく縦横無尽に10円玉が動き出すのでたまげた。

これは今考えると集団心理の一種で、催眠術に通じている部分もあるのかと思う。

 

ある時オラは自分の前世は何だったのかとこっくりさんに尋ねた。

こっくりさんが文字盤に示したのは『ロバ』だった・・・。

驢馬だと~?なんてこった、オラは重い荷物を背負わされて山岳地帯を荷役の重労働に従事させられていたというのか!。

そして荷物を運べなくなったらオラは多分バ-ベキュ-にされてたんだな・・・。

それ以来なぜかちょっと驢馬には敏感になった。

子供向け番組にロバ君というのが出てたし、北海道では『ロバパン』というパン屋さんが有名だった。

 

今オラはここで実験してみたい。

こっくりさんのことなどまるで知らない女子高生にやらせてみるというのが一つ。

霊的現象を一切否定するけど、これぞキツネ目!という人相を持つオラのバンドマスタ-かっちゃんと、弘前市在住の文筆家から初対面で君はキツネに似ているねと言われた額にMの字が浮き出ているとされるフィニッシュ君の二人でこっくりさんをさせてみるという企画だ。

恐らくは双方10円玉は動かないに違いない。

従ってオラの前世もロバではない。

もしも、かっちゃんVSフィニッシュ君で、かっちゃんが口から火を噴きだし、フィニッシュ君が尻から9本の尻尾を出して来たら戦術核を爆発させるしかなかろう。

酒豪

 

ユ-チュ-ブにお笑いタレントの山田邦子さんが芸能界の酒豪10傑をランキングで挙げていた。

しかし、ちょっと納得できるのは松方弘樹氏くらいだったので、多分彼女は本物の酒豪と巡り合ってないものと思われる。

まず芸能界で破滅的な飲み方をしていた高田延彦氏というプロレスラ-を野口五郎氏が飲み倒し、二度と俺の前で酒が強いと言うな!と言った話は有名。

この時両名はウイスキ-のボトルを各自5本は空けていたはずだ。

角界では初代若乃花の二子山理事長は毎晩2升の日本酒をたしなみ、宴席では六升を超えたという(昔大酒呑み大会というのがあり、時間は無制限ながらその記録は一斗を超えていたらしい。ちなみに準優勝になった人は9升で、なんとこれがお婆さんだという)。

かの文豪である井伏鱒二氏は齢90歳にしてオ-ルドパ-をロックでグイグイ呑んでて、これも酒豪で有名な開高健氏を『こんな化け物と呑んでたら呑み殺されちまう』とビビらせたらしい。

 

アルコ-ル度数が42~43%のウイスキ-を一人でボトル2本飲んでしまう人と言うのは少ないながら存在する。

けれどそれ以上呑む人というものは稀有だといって過言ではない。

高校の下宿時代に柔道部の先輩であるT島(120キロデブ)という人に飲み会に連れていかれて、一度だけでも彼に飲み勝ってやろうと頑張ったが、いつの間にか意識を失い、夜中の3時ごろに目を覚ましたらまだ彼は飲んでいて、サントリ-オ-ルドの3本目を半分飲んでいたのを目にして再び気絶した。

ある時は会社の同僚の優子ちゃんを押し倒してやろうとオラがボトル1本、彼女が2本飲んだところで『ねェビ-ルもらってもい~い?』と言ったのでようやく観念して布団に入る気になったかと思ったら、ビールを飲んだ直後に『あらっ?冷めちゃった』と言われて逃げ帰ったこともあった・・・。

従兄弟のケイコちゃんという人の旦那さんはかつて『酒仙童子』と言われた人で、ビールというのは水であると語っていた。

飲んで乱れる、酔うなどという姿は一度としてみたことがなく、ああいう酒飲みになりたいと真似してたら現在肝機能障害に悩んでいる・・・。

外国人のコンビニ店員

 

オラの行きつけのコンビニに外国人店員が増えてきた。

多分オラが卒業したコンビニの近くにある青森バカ田大学の学生なんじゃないかと思う。

オラが学生だった頃も留学生はいたんだが、その殆どは台湾人で、彼らが住む共同アパート付近の野良猫がいなくなったと噂がたったけど、多分噂だ・・・。

一度彼らにインタビューしたことがあって犬猫を食うか?と尋ねたら、犬猫は普通に食うと言った。

猿は?と聞いたら食べる習慣はあるけど超高級料理だから一般市民が食べる機会はないとの返答だった。

その時教えてもらったのが、料理の名称に虎の字があったらそれは猫料理、狛犬の狛とあったら犬、龍とあったら蛇の料理だよと教えてもらった記憶がある。

彼らは実は勉強に来てたのではなくて兵役を逃れるためにきてた割と裕福な家庭の子らしかった。

 

今、近所の行きつけのコンビニは人種のるつぼである。

その彼らが世界の習得し難い言語の上位に来る日本語を聞いて話せるのは優秀だなあと感心する。

インドかその周辺出身と思われる(チャトウラ君?だったかな)などはお世辞まで言うのには参った。

その店に昨年からc国出身と思われるバイトが2名入った。

一人は痩せたガリ男君、もう一人はフォアグラを取るために生成されたかというデイブ君である。

どちらも日本語は流暢なんだが、共通した勘弁してもらいたいことがある。

こういっては何だけど・・・二人とも臭いんである。

ガリ男君は髪形はピシッと決めてるのにフケだらけ、デイブ君は匂いがガリ男君より更に強烈ときてる。

二人の匂いを嗅いだ時に思い出した匂いがある。

それは手入れされたことがない犬の匂いである。

かつて幻の赤ノコ採集に挑んだ際、フィニッシュ君の仲間の実家がその爆心地にあると知り、尋ねたらそこに彼のかつての愛犬が存命しており、散歩に連れていかれることもブラッシングされることもなく、ただ繋がれて糞尿の上で生活してたその犬の匂いそのものだった。

だから、この二人は単に風呂に入ってないんだと思う。

しかし日本に留学するほどの経済力があるとこの子が風呂に入らないというのはどういうことなんだろうか。

かつて農協の主導で嫁の来てがない農家の長男坊にフィリピンの嫁をという企画があり、来日した嫁は温水の風呂に入ったことがなくて肌が拒否し、真冬に冷水のシャワ-を浴びることに難儀したというくだりを漫画家の矢口氏が描写したことがあった。

我々日本人は近年生まれたその時から産湯というお湯に浸かり、お湯には慣れてるかもしれないが多分その経験がない人には石川五右衛門の釜ゆでに等しいと思われる。

オラは高校3年の最後に足に大やけどを負い、それが治癒するまで約4か月近く風呂に入れなかったことがある。

医者からもう風呂に入っていいと言われて、早速大喜びで銭湯にいったのだが全く湯舟には浸かれなかった。

患部は勿論のこと、体の部位のどこもお湯を拒否した。

それまではお湯に浸したタオルを絞って体を拭いていたのだが、たった4か月弱で人は熱い風呂に入れなくなるのだと実感した。

その日はせいぜい体温と同程度のお湯を浴び、体と髪を洗っただけで湯舟に体を浸すことはできなかった。

で、先の二人なんだが、そのような事情下にあるわけねえだろ!。

単に風呂嫌いなんじゃねえか?。

デイブの方は今、コンビニレジ前にコロナ対策でビニールシ-トを垂らしてるにも関わらず犬の匂いがするぞ!。

こんな匂いのする手で購入した商品を触られたくないんじゃ!。

もしも彼らと仲良くなる機会があったとしたならば、二人とも酸ヶ湯に連れてって亀の子たわしで洗ってやりたい!。

本屋のおね-ちゃん

 

病院の帰りに本屋に立ち寄った。

本屋でマスクと消毒スプレ-大量に売っててたまげた。

 

以下この内容は以前にも書いたかも知れない。

でも、もう一回書く。

本屋の店員のおね-ちゃんはどこの店であってもまず大概

①化粧っ気がない。

②ほぼ黒髪で染めてる子がいない。

③メガネの子が多く、大体黒メガネである。

④申し訳ないが大概は〇スに属する。

 

①→これは個人の自由だけど後にその努力により何らかの成果になることもあると思いたまえ。

②→実はおしゃれしたいなら段々自分好みにしていいのでは?オラの好みではないが緑色髪の本屋店員がいてもいいんじゃねえか?但し、『お前のお勧めの本は何だ!』と言ってくるオラみたいな親爺に絡まれることは覚悟しな。

③→そのままでもいいし、コンタクトでもいいだろ、偽まつ毛は今や常とう手段だが素とのギャップを考え賜え(昔~し、飲み帰りある女の子のアパ-トにお泊りすることに成功し、翌朝ベッドの隣にいた彼女にあなたは誰~れ?と尋ねたことがあった)。

④→美とは何か?。

美は時代とその時のメディアに操作されてないか?古の日本では美人の条件はオッパイはさほど重視されず、肝心なのはしもぶくれの顔と大きな尻だ。

中世以前のヨ-ロッパもまた同じ。

全ての世の男がメデイア推奨の女性を愛する訳ではない。

あなたの中の何かを求め愛する人は必ずいる。

その人と会えるかどうかが分かれ道なのだろう。

どうしても手っ取り早くメデイア推奨の路線でいきたいなら、K国に渡り施術してもらうことだ。

その先に求める幸があるのならばね・・・。

本好きを責めたりしないけど本の中のネバ-ランドの迷宮に入り込んでもいけないよと言いたくなるほどこの業種の店員はちょっと特異に見えるんだよな・・。。

アベノマスク

 

昨年来病気の経過観察のために定期的診察を受けていて、5月は11日に予定していた。

だけど、この時点ではまだ新型コロナの感染者数がまだ右肩上がりだったことと、感染者の入院治療先がこの病院であり、その時点で10人ほど入院してたので怖くて予約をすっぽかしたら、病院から電話が来た。

何故予約日に来なかった?と聞かれたので『コロナ怖イヨ、外出たくナイヨ』と答えたら大丈夫だから来なさいということだった。

そこで改めて5月22日に半ば誘導的に予約され、診察されることになった。

当日に病院到着。

まるで猫が知らない場所に連れていかれた位の警戒度で、立体駐車場から降車後にエレベーター、病院入り口、受付まで等ささっと移動しては立ち止まって周囲を眺めまわしを繰り返しながら呼吸器外来の窓口に診察カ-ドを提出した。

ここでまず一つ気が付いたが診察を受けに来た患者数がいつもの三分の二くらいだということ。

やはり皆まだ警戒してるのだろうか・・・。

次にオラはもう手持ちの使い捨てタイプのマスクを使い果たしてたのでマスクなしで赴いたのだが病院職員は当然ながら診察を待つ患者、子供から間もなく寿命を終えるであろう老人に至るまでほぼ全ての人がマスク着用していたのである。

爆弾魔一味の若者のブログに自身のマスクの在庫が尽きそうだと書かれてたし、

週に1~2回食料品などの買い出しに行くコンビニにも相変わらずマスクの入荷はなかったから、ネット等でバカ高いマスクを買って入手する他ないのだろうと勝手に思ってた。

だが、この病院は県内最大の病院で、患者やその他の来訪者を数えると一日優に数千人以上の人が訪れる大病院。

そこで、ライトトラップで鍛えたオラの目でサ-チしたらオラ以外にマスクなしの人はたった一人で、ほかに別な意味のマスクを装着されてストレッチャーで運ばれる人を一人見ただけだった。

これは、どこかにマスクが入荷されているに違いないと思った。

一番真面目に外出や他人との接触を断ってきたのに情報まで絶っていた・・・間違いない。

マスクの効用についてはかねて疑問を持っていて万全じゃないのは明らかだけど、やはりリスクを軽減できるということと、そこに期待する安心感は否定できない。

今回オラは県内最大病院に受診に行って、日に数千人がすれ違う人の中で特殊マスク以外はオラのほかに見た目が泉谷しげるみたいな爺さん一人しかノ-マスクがいなかった事実を報告したい。

オラとあの爺さんはアウトサイダーなんだな・・・。

 

オラが診察を受けた県内最大病院は診察を受けるに当たって本当に安全なのか?。

オラの答えはノ-だ。

何故かと言うとものすごい数の人間が集まり行き交うこと、そこに既に県内唯一の?コロナ患者が入院治療されていること。

トドメは、待合スペ-スに肝心な三密が回避されてないことだ。

各科の待合所の前にはおよそ3人が座れるベンチシートが並べられてるけど三密回避には程遠い。

注意深く見ると、体力のある人はこのシ-トに座らない人も多い。

三密を避けているのだろうが、朝一番に受付しても診察まで何時間もかかることが多い大病院だから、立って待ってるスペ-スにもやがて人が溜まる。

するとそれを避けるために遠く離れるので呼び出しされても聞こえず、結果診察の流れが悪くなるという場面も目撃した。

病院側も努力、工夫をしていると思うが、かほどに完璧というのは難しいと感じさせる。

病院の正面入り口に手指消毒用スプレーを設置してるのだが、8割の人がこれを利用するけどしない人もいる(せっかくだから観察した)。

そして利用使用量があまりに多いのですぐ空っぽになる。

すると、申し訳ございません只今補充のため今しばらくお待ちください・・・みたいな張り紙を残したまま今暫く放置される。

多分だけど・・・この補充は病院の正職員じゃなくて出入りの外部業者?の役割になってるのでは?。

何故一番重要で使用量も多い出入口の消毒所に一日の使用量を見越した在庫を置かないのか、何故そこに手指の消毒を促す指導の職員を置かないのか。

補充の間にすり抜けていく人はたくさんいる。

人員はいないのか?というと、暇そうにしている人は沢山いる。

それは私の仕事じゃない!というのは非常事態宣言下であっていいものかと思う。

 

さて、マスクである。

あれだけ皆装着してるのだから、ネットだけじゃなくてどこかの店舗で小売りしてるに違いないと、大病院の近くのドラッグストアに立ち寄ってみた。

普通に売ってる・・・在庫もある・・・。

ちょっと価格が高くねえか?とは思ったが仕方なかろう。

そこで洗える!伸縮マスク2個とウイルスカットフィルタ-採用なる使い捨て7枚入り紙マスク1個を購入した。

洗えるマスクは白と黒の二種類あったが、練馬忍者のトシちゃんが黒を愛用してたのを思い出し、採集のことを考えて黒をチョイス。

あれだけ欠品が続いてたマスクをいとも簡単に購入できた喜びで帰宅途中にまた家に籠るにあたり、深い思考に貶め何度でも熟考を誘う書籍などないものかと市内最大の本屋に立ち寄った。

何故だ?ホットコ-ナ-にマスクと消毒液スプレ-がずらりと大量に陳列販売されている!。

しかも同じ敷地内に大手ドラッグストアがあるにも関わらずだ。

一方向からの情報を背信してるとえてしてこういうことになる。

 

昭和のかまり(匂い)⑨】

 

今回の記事内容は以前の記事にも書いた気がする。

だからもう少し詳しく書いてみよう。

オラの親父は海上保安庁灯台課の職員。

所謂灯台守である。

この職業はどうもある程度出世しないとド田舎ばかりに約3年で転勤するらしく、オラの親父の初赴任地は戦後間もない青森県竜飛岬灯台だったそうな。

爺さんも戦前の青森で仕事してたことがあるらしく、縁があったんだろうと思う。

親父の初任地である竜飛岬は当時陸の孤島で、物資の内、特に食糧(米その他)が届かず飢餓状態だったと聞いた。

当時の灯台守は漁師からすれば有難い存在だったので、差し入れをしてくれるのだが、それは全てイカを干したスルメだったという。

当時は冷蔵設備も冷凍設備も、輸送のインフラもなかったそうだ。

魚はいろんな種類が捕れたらしいが、売り物にできるのはスルメしかなかったので漁師は殆どそれしか捕らなかったらしい。

たまに、オヨ(イシナギ)と呼ばれる2メ-トル近くになる大魚を釣った時だけ青森市まで漁船で運んで売ってたとのこと。

何しろ大きいので時間を掛けて運んでも傷まなかったからなのだそうだ。

竜飛の灯台守職員はそんな事情で皆栄養失調。

そこで当時の所長さんは、仕事はほぼ部下に丸投げして毎日断崖絶壁の石段を降りて竹竿に自作の毛鉤を引っ掛けて投げ、職員のために主にシ-バスなぞを釣ることに専念してたみたい。

後年親父は『俺が胃を悪くしたのは竜飛でスルメを食いすぎたせいだ』とコメントした。

その親父に3年後転勤の辞令が降りて、やったー!と喜んだら次の赴任地は八丈島だったと言う・・・。

八丈島(昔は流刑の地・・・)でもやはり食糧事情が悪く、たまに入ってきた米を炊くと人差し指大のゴキブリに食い荒らされたらしい。

釜の上に蓋をして重しを乗せてても侵入されて発狂したと言ってた。

ひもじさに耐えかねた親父はあるときに職務放棄してふらふらと海岸に降り、玉石をひっくり返してトコブシ(アワビのちっちゃいバ-ジョン的な貝)を採って食おうと画策。

ところが、親父が石をひっくり返す都度、その側で待機していたイシダイがほぼかっさらっていったという。

後年、親父は『何が幻の魚だ!腐るほどいたわい!』と語っている。

親父が石をめくるタイミングを見計らっているとその側にそれをかすめようというイシダイが20匹ほど待機しているのが見えたのだそうだ。

 

今、オラはスマホなる通信機器のやっかいさに手を焼いておる。

パソコンも気に食わないがスマホはもっと嫌い(今のところね)。

時代は流れてオラも生まれて長万部時代の話。

長万部勤務から所長となった親父の公僕たる役目のひとつに『公衆電話』の役割があったみたい。

職務の一つであったかは分からないが、当時電話のない家が大半であり、何か緊急の事態が起きたらオラの家に電話を借りに来るのである。

当時は公衆電話などなかったから、何かあったらオラの家から電話を掛けたり電報を打つのだ。

オラの家が寝てしまった夜中に来る人は呼び鈴を申し訳なさそうに押しながら電話を貸してくださいと訪れてきた。

この対応は母がした。

玄関に置いた電話の脇にゼンマイ仕掛けの3分の時計を置いて、使った分だけお金を置いていくシステムだった。

同じ市外局番だったら3分10円だったようなような気がするが定かではない。

真夜中に済みません・・・と電話を借りに来た人がすすり泣くこともあったし(誰かが亡くなったのだろうか?)ということも、電話越しに喧嘩になって声を荒げることもあった。

持参していた電話代では足りず、後日持ってきますというという人もいたがそのうちの何人かは来なかった。

どんな事情があったのか、それは分からなかったが、それも親父の職務の一つだったのかも知れない。

 

昭和のかまり(匂い) 番外編 真美ちゃん

 

男の子と女の子は今ではどうなのか知らないけど、当時は小学校3年生までは同じ遊びをしていた。

それが4年生くらいになると櫛の歯が抜けるように女の子は女の子のグループで遊ぶようになる。

それまでは、雪合戦や釘刺しなどのやや荒っぽい遊び以外は一緒で、野山を駆け回ったものである。

 

同じ地区に国鉄(現JRの前身)の官舎が10棟ほどあり、前記事の三谷君とその弟ユタカも、腰抜けノジミもそこの子だった。

そこに真美ちゃんという女の子とその姉弟3人も住んでいた。

真美ちゃんは確かオラより2歳年下だった。

その時オラはガキ大将に着任直後で、更に普通は年上の男の子が年下の女の子の家に遊びに行くことはまず無かったはずなんだが、何でかそうなった。

手下から借り上げた何かのゲ-ムを持ち込んだような気がする・・・。

彼女の家には玩具が乏しかったみたいで、壮絶に盛り上がった。

一番下の弟(赤ん坊)以外は皆興奮してた。

そのうちに枕投げみたいなことをやり、大騒動。

やがてオラは二つある二段ベッドの上に登り、毛布の下に潜り込んだ。

ふと見ると彼女以下3人の姉弟も暴れ疲れて下でくたばっていた。

オラも疲れてやがて軽い睡魔に襲われた時だ。

誰かがベッドを登ってくる。

それは真美ちゃんだった。

『御免、オラちょっと眠くなった』と言ったら真美ちゃんは『うん、いいよ、ここは私の寝床だから』と言って同じ毛布の下に潜り込んできた。

これっていいのかな?と思ったような気もする。

やがて再び睡魔に襲われて寝入ってしまいそうになった時、既に寝てしまった真美ちゃんがその体をオラにピトッと寄せてきた。

オラには姉がいたが、オラの姉はオラが近寄ることをなぜか許さない。

初めて感じる女の子の柔らかさと髪の匂い(ここで妙な連想をした方は速やかに退場願いたい)。

オラは当時弟か妹が欲しいと思っていたのだが、その愛おしい瞬間が現実になったわけだ。

もしかしたらだが、真美ちゃんもオラにお兄ちゃんを見たのかも知れない。

その真美ちゃん一家も、三谷兄弟も翌年に親の転勤で離れていった。

引っ越しの当日はオラも家財運びやなんやで手伝いに行って、いざ出発となったら彼女は泣きながら何時までも手を振ってくれて、オラも泣いていた。

未だ忘れ得ぬ彼女のぬくもりの郷愁よ・・・。

 

ガラケ-復活の兆し・・・

 

業者や周りの友人知人に半ば脅されるようにスマホに買い替えされられたオラの顎にマイクタイソンの右フックがいきなり炸裂した。

ガラケ-の生産、サ-ビスは終了となりますという世の中の川の流れに哀れ押し流されたオラだが、電源供給の地盤が弱いアフリカなどはどうするんじゃ?と疑って前記時に書いた通り、ガラケ-復活のニュ-スが飛び込んできた。

先ごろ新発売されたノキアのガラケ-新機種は従来できなかったツイッターやフェイスブック等を利用できて尚、幾つか追加機能もあり、その上で

①価格が安い

②操作も簡単

③連続待ち受け時間がやたら長い

これぞ、オラが待望してた通信機器なんじゃないのか?。

需要はやはりアフリカを始めとする電源並びに通信設備の脆弱な国家並びに地域。

そして日本でもやはり先端機器になじめない高齢者に多いという。

先の商品は連続待ち受け時間が670時間だという。

充分でしょ?。

 

先日山の若い仲間がオラのスマホを使いやすいようにと弄ってくれたんだが、オラの希望は半分無視されてたせいか、夜中や妙な時間に『ラインっ!』という着信音が鳴る様になり、怯えている・・・。

やっぱりもうオラは八甲田の仙人になりたい。

移動や買い物はロバの『花子』に引いてもらう馬車。

日常の通信は伝書鳩。

非常時の通信は狼煙で宜しく。

ところでこの新しいガラケ-の呼称は、業界が『ガラホ』にしようと動いてる雰囲気がある・・・勝手にしてくれたまえ。

昭和のかまり(匂い)⑧ 水遊び

 

川の手前、沢遊びは主に山菜取りと日本ザリガニ採りなどであった。

山菜はともかく、ニチザリはただ採って遊んでただけである。

後年、青森で兄貴と慕うN先輩らは当時これも焼いて食ってたそうである。

どう考えても泥臭かっただろうし、よく腹を壊さなかったものだと感心する。

それだけひもじかったんだろう・・・。

 

長万部では町の外れを流れる紋別川という川があり、そこに5月ころになるとキュウリチカという体表に全く滑りのない魚が産卵のために遡上してくる。

キュウリと名のつくように独特の匂いがあり、決して美味しい魚ではなかった。

だが、大群で押し寄せて来るそれはガキの狩猟本能を満たすには充分であった。この魚は採ったら軒下に干してから焼いて食べるのがポピュラ-だったように思う。

この魚は遡上したら殆ど餌は食べないのでガラ掛けという引っ掛け針で釣るかモリで刺すか、どちらかの捕り方だった。

けれど、ガラ掛けは技術のない者のとり方とみなされていて、モリで一日何本突けるかというのが評価の分かれ目でもあった。

だからオラは3月になると雪玉にモリを投げて狙ったところに刺さるよう練習したものである。

ガキ大将たるもの、年下にその成果が下回ることはステ-タスからいって許されないと勝手に考えてたからからだ。

今考えてもオラの腕は中々のもので、日に多ければ200匹前後突いたものだが、川の側に家のある連中には全く敵わなかった。

彼らは300~400近く突いていた。

因みにうちの年少組は一日やって10匹いかないくらいで、それなりに技術を要したのである。

 

海ではしけの翌日に砂浜に北寄貝、マサ貝(正式名称不明の二枚貝)、アサヒ貝(いわゆるアオヤギ)が打ち上げられてて、これは持ち帰れば親にも褒めてもらえるので、おいっ明日の朝行くぞ!とガキどもで示し合わせて拾いに行った。早春と晩秋には鯖に追われたカタクチイワシの大群が砂浜に波が来る都度打ち寄せられるのでバケツ片手に拾いまくったもんだ。

時折イワシを深追いしすぎた鯖が砂浜で跳ねるので、これは味噌煮にされた。

 

ある時、早朝に犬を砂浜に散歩に連れ出してたら、4メ-トルくらいの鯨が浜に打ち上げられていたのだが、この時点でこの鯨はまだ生きていた。

海に返してやろうと頑張ったが当然どうにもならない。

そこで手下のうち3人をたたき起こし、頑張ったのだがしょせん子供の力でびくともしない。

そこで手下をそこに残し、親父の職場のお兄さんに頼みに行ったのだが、現場に戻るとその鯨は漁師その他によって半ば解体されてて、手下はシクシクと泣いていた。

今思い出してもわが身の無力を痛感させられた風景だった・・・。

 

内浦湾は広くて、太平洋に面しているせいか、風向きによっては結構波が高かった。

更に妙な潮流が流れたり、水深も急に深くなったりするので結構見た目よりは危ない海だった。

だからガキどもを連れて海に行った際は何キロでも泳げる奴以外は腰から深い所には行くなと念を押したものだ。

そんな折、札幌から2歳上の従兄弟が遊びに来て泳ぎに行ったのだが、彼が年上だという油断があり、あまり注意してなかった。

沖に出た彼は彼は満面の笑顔でオラに手を振り歓声を上げてたものだから、オラも手を振ってそれに答えた。

だが、その時実は彼は溺れていたのである。

たまたま近くにいた大人が救出してくれたので事なきを得たのだが、彼は俺が助けを求めたのに笑顔で手を振ってた!と文句を言ってきたがそう見えたんだから仕方がない。

俺は死にかけたんだぞ!と詰め寄ってきたが、普段からおちゃらけてるからそうなるんだ、命があって良かったじゃないかと突っぱねた。

当時は遊びにも命がけの部分が多少なりとあった、そういう時代だった・・・。

 

 

 

昭和のかまり(匂い)⑦ 秘密基地と肥後守

 

日本全国津々浦々、当時のガキの遊び作業に欠かせなかったのがその拠点となる秘密基地の設営であった。

その設営作業にも必要不可欠だったのが肥後守という小さな折り畳みナイフだった。

これは捕獲した魚の解体調理、遊び道具の作成のほかアウトドアの必需品であるばかりでなく、学校での鉛筆削りもこれ一つでこなしたものだ。

これによって我らの手先の器用さも磨かれていく。

冬の玩具である凧もこれで自作してたし、火を起こすのにも必要だった。

不慣れなうちはこれで指を切って血が噴き出し、泣くこともあったが、乗り越え、使いこなすことが求められたものである。

頑丈一点張りだったこの肥後守は今でも所有してて、時折思い出したように取り出しては研いでいる。

北海道の夏は短い・・・。

水温の関係からここで川遊びをして泳いだりできるのは年に2週間なかったように思う。

年長者でもブルブル震える冷水に体を浸すのは、年少組に冷たい川に入れるように勇気を与えるのと、川での泳ぎ方を教えるためである。

目的の河原に着くと、まずは川の側の砂地に穴を掘らせる。

するとたちまちそこに水が湧いてくる。

その側に今度は石を集めさせて盛大に焚火する。

体が小さくて冷えやすい年少者の為の風呂を作るのだ。

ここで準備万端。

まず、年少者を泳がせる。

川では自分の遊泳力が川の流れに負けた場合は必ず足を下流に向けて流れるのが基本だ。

そうでないと川の石に頭を激突させて大惨事になるからだ。

オラはこの指導と監視に目を光らせ、オラより1~2歳年下に魚を取らせる。

体が冷えて年少者の唇が紫になってきたら川から上がれと指示を出す。

既に魚捕獲部隊は各自の肥後守を使って魚の調理体制に入っている。

付近の竹や小枝を切って捕獲した小魚を刺し、各々の家からくすねてきた塩や醤油などが塗られ、焚火の側に並べられていた。

オラは焚火の側に並べて焼いた石を突き崩し、砂の風呂に落としていく。

ジュワ~!という音と立ち上がる蒸気とともに、それは風呂へと変化していく。

年少組をその中に入れ!!と号令すると歓喜の声がこだましたものだ。

年長組は太陽に焼かれた大きな岩の上に寝そびり暖を採る。

これを何回か繰り返してから帰宅するのだが、至福のひと時だった気がする。

 

我らが曙町3区のメインの秘密基地はオラの家の坂を海手側に少し下ったスクラップ置き場だった。

重機や車や土管など様々なものが積み上げられており、その中の中心部に置かれた中型トラックの廃車がその核心部だった。

他の廃車から集められた座席がシ-トとして集められ、その他廃棄されたノコギリの折れたのやドライバーなどの工具などが集積された。

トラックのダッシュボードには各家、庭から収集された腐らない食料品などが備蓄され、オラはよく手下が集まるまでそこから取り出したグリコワンタッチカレ-のル-をボリボリと貪っていた。

勿論、集合後に糞を催した際に尻をふくチリ紙までもが常備されていた。

この拠点を中心に秘密基地の増設に勤むわけだが、あっちこっちに変なものよく作ったな~。

ある時に、こちら方面にも秘密基地を増設したいと考えてたら、雑木林の草むらの中にボロボロのバイクが廃棄されているのを発見した。

見掛けてから一週間以上経っても1ミリとも動かされた形跡がない。

やはり不法投棄の廃車だろうと判断したオラは手下に命じて、あっという間にこのバイクを分解し、新拠点に搬入して大いに活用した。

大分後に知ったことであるが、このバイクは大分ボロボロであったが、その近所の苦学の大学生がやっと手に入れたバイクだったと知った。

知った時にオラも確認の未熟を恥じたものだったが、

何で雑木林の草むらに隠すように置いたのか、そんなとこに置いたあんたが悪い!という気持ちの方が強かったような気がする。

 

 

はがれた化けの皮

 

新型コロナウイルスの影響で自分の住んでいる市町村に、とりわけ関東ナンバ-の車を見かけると発狂してる連中がいるみたい。

そんな他県ナンバ-を見かけたら、勝手に車を損壊したりして嫌がらせをしてる例が散見されるようになってきたらしい。

確かに東京を始めとする、関東の大都市圏の罹患者数が高いので恐怖心をあおられるのは分からないでもないけどやってることはただの犯罪で、罹患した人の個人情報を追うべく追及するのは低級な現代の魔女狩りか?。

オラの知人にアクセスしてきた奴は、居住地近郊から出るな、今年の採集は諦めて、他の愛好者にも採集活動を今年は諦めるようにアナウンスしろとか要求してる。

その内容はもっともらしく書いてはいるが、実は論理的根拠を欠いた一方的自己中な内容だったことを付記しておく。

かつて、東日本大震災において巨大な災害と悲しみを乗り越えて不屈のパワ-で復興に突き進む日本人の民度に世界が驚いたものであるけれど、ちょっと問題の質がずれたらこれである・・・。

そいつらの市町村に関東ナンバ-の車が現れたとしても何の用事で来たのかも分からない訳。その市町村に重要な役割や使命をもって来てるかも知れない訳。

それをいきなり車に蹴り入れたり、窓を割ったりは違うだろ!。

どうせ大半は誰も側にいない、見てないことを確認してからやってるんだろ。

そういうのを卑怯者!と言うんだぜ。

昭和のかまり(匂い)⑥ ガキ大将の外交戦略

 

時は昭和40年代、場所は北海道の片田舎。

その頃のガキは何をして遊んでいたのか。

ビ-玉、鬼ごっこ、かくれんぼ、缶蹴り、あやとりとおはじきは主に女の子の遊び。

メンコは北海道とその後に住んだ青森では呼び名がちょっと違っててどっちかが『ペッチ』で、どっちかが『パッチ』だったんだけどビ-玉同様に敗北すると財産を失うことになるので、勝負が終わると敗北者は泣き出したり拗ねたりして、中々シュ-ルな遊びだった。

泣きたくなければ腕を上げるしかないのである。

遊びと言っても皆とにかくおこずかいに乏しくて、金のかかる遊びはほぼ出来ない。

当時ブ-ムに乗って長万部町にもボ-リング場ができたが、ゲ-ム代が高いのでたった1年で潰れた・・・。

その後移り住んだ青森市ではまだ何店か生き残っており、しかも近所のボ-リング場の向いはスバル座というエロ映画館で、官能的な地区だった。

その際、収入面の地域格差と人口がもたらす格差というものを子供心に考えされられた。

釣りはどうか、まず市販の竿や、ましてリ-ルを持ってるガキなんぞほぼいなかった。

糸もナイロンは高価なので大人ですら渓流釣りならばまだ蛾の腸から自作したテグス(濡らして柔らかくしてから使う)を使ってた人もいたくらいだ。

釣り餌なぞも今なら釣具店に行けば生エサも冷凍エサもルア-も揃ってるけど当時は餌は自分で自然界から調達するのが当たり前だった。

正月にする凧あげなども、こずかいに乏しければ自作するのが当たり前であった。

これらの遊びの準備に、あるいは遊びそのものに欠かせないのが『肥後守』という小さなナイフであり、これを使いこなし、自分で砥石で研いで手入れをし、様々な道具を作成できることがガキの間でのステ-タスを高める。

竿を買うことができない年少者に竹を切ってきて竿を作ってやり、その作り方を伝授するんである。

各地区で先代から受け継いだ遊び場のテリトリ-を死守し、その中で遊びそのものや遊び方を伝え、遊びのル-ルや変更なども策定する。

年下に役割分担を指示監督し、大まかに全体の面倒を見る絶対権力者。

それがガキ大将である。

中でもとりわけガキ大将の最大重要使命は遊び場であるテリトリ-の確保であった。

 

当時のガキ大将は高校は地区の中にあるものの、中学校がかなり遠い所にあったせいなのか、小学校を卒業したらガキ大将グル-プからも卒業するというのが常識だったみたい。

オラが小学三年生までは『三谷君』という人がガキ大将だった。

この人は年下の面倒見が良くて、他地区の連中がオラたちのテリトリ-を脅かしたり何か問題が起きてもすぐに解決する素晴らしく尊敬できるガキ大将だった。

ところが、彼が卒業する際に後継者指名したはずの『野月(通称ノジミ』という先輩があっさりと職務放棄した。

ノジミはオラの一歳上の新5年生。

他地区に6年生が現役でいる不利を恐れたのか争いが苦手な平和主義者なのか。

既に他地区の連中は三谷さんが締結した不可侵条約を無視して侵攻を開始している。

オラはノジミにあんたが先頭に立ってくれなかったらオラたち曙町3区が死守してきた遊び場が奪われてしまう、頼むからリ-ダ-として立ち上がって欲しいと懇願したが答えは『嫌だ!』であった。

ノジミはその後お年玉をはじめとするこずかいを貯めた全財産を投入して当時としては高級な5段変速ウインカ-付きという念願のスポーツ自転車を手に入れ、毎日のように『ピカ-ル』でテカテカに磨き上げるという趣味に没頭するようになり、我々とは疎遠になった。

困り果てたオラは三谷さんに相談に行った。

年上で前大将の三谷さんからノジミに説得してもらおうという訳である。

しかし、彼の答えは意外だった。

ノジミは前からそういうことがあった、奴に任せてもろくなことにならないだろう。

荷は重いかもしれないけどお前がやれ!・・・であった(え~っ?)

 

暫くオラは悩んだ。

当時はチビで体力もなく喧嘩も弱いオラが大将なら5~6年生を抱えて兵隊も多い他地区の侵攻に耐えられるはずがない。

オラは、オラ以外の町内で唯一の同級生である石田君の家に走った。

彼もまたこういう活動や役割を嫌がるタイプだったが、オラよりは体が大きくて運動神経が良かったからだ。

オラは手伝ってくれ、君とオラのツ-トップで縄張りを守ろうじゃないかと力説したのだが、彼の答えは4年生から部活動に参入できる、自分は野球をやりたいので協力できないという返答だった。

問題が起きたときに力を貸してくれるだけでいいのだと言ったが答えは変わらなかった。

だが、鋭いオラは分かっていた。

彼は野球部に入ったら他地区の人と関わるようになる。

そこに地区の争いが起きたらその板挟みになるのを恐れたのだと。

万策尽きたかに思われた。

何か手がないのか・・・考えた末に出したオラの答えは、それまで仲が悪かった隣の地区の大浜というところと友好条約を結ぶという奇策だった。

大浜とはその中間地点に流れる小さな川を境にテリトリ-が分かれていて、その川は水深が浅い砂地で安全である上に小魚が採れるという年少者に魚の採り方を教えて遊ばせるという得難い場所だった。

大浜と昔から領有権を争いながらも三谷さんの功績で当時は曙町3区のものということになっていた。

意を決し、オラは同級生で仲の悪かった大浜の黒滝という男の家を訪ねた。

彼とは些細なことで1~2回殴り合いの喧嘩をしたことがあり、普段は口もきかなかった。

突然訪ねてきたオラに彼もちょっと驚いた様子だったが、来訪目的を告げたら、まあ、ちょっと待てやと彼の家の前の砂浜に案内された。

そこで彼は親がカレイの刺し網から外した売り物にならない大きなヤドカリを数個拾ってから中に案内してくれた。

彼はその大きなヤドカリを居間の薪スト-ブの上に放り、これが大浜のガキのおやつだと言った。

主に大きなハサミの爪の肉をハンマ-で叩いて割り、食すらしい。

オラは来訪目的とその希望する条約について説明した。

内容はこうである。

①他地区があからさまな侵攻をしてきた際は曙町3区と大浜は共闘してこれを迎撃する。

②その見返りとして両地区にまたがる川の利用とそれに付随する遊び場の利用権限について曙町3区は現在より大幅に譲歩する。

③その他の取り決めは大将どうしの話し合いで解決するものとする。

どうだと聞いたら彼も『う~む、』と唸った。

実は、大浜というのは漁師町で体は小さいが気が荒く、いざ喧嘩となったら流血戦もいとわない連中が多かったんだが、人口が少なくて丁度この頃はここも6年生がいなく、他地区のちょっかいが激しくなっていたらしいのだった。

大将に聞いてみるから暫く待てと言われてその後は二人で大浜のソウルフ-ドであるヤドカリの爪の肉を貪った。

後日黒滝から大将のOKが出たので顔合わせと諸確認のために大浜に来いと言われたので赴いて諸手続きを終えた。

条約は締結されたのである。

その後曙町3区と大浜が手を結んだという噂が流れたせいか大きなトラブルはなかった。

だが、そのせいでオラはこの地区のガキ大将を3期3年勤めるというやっかいな長期政権を引き受けることになる。

 

しかしだな、これぞ外交である!。

 

 

 

何がらくらくスマホだバカヤロー!】

 

新型コロナウイルスの蔓延から、オラは3月中旬からは週に1回ほど日用品と食料品を買い出しに出る以外外出してない。

よって2月中旬から今に至るまで自家用車の給油もしてないし、散髪もしてない。

ヒトコイシクテアイヲモトメテ(エレファントカシマシ)という状況の中、爆弾魔一味の青年部に属する数名がオラの家に厳重な自己管理と注意のもと、集結した。

あと一名参加予定だったみたいだが、タ-ゲットの蝶々があまりに採れなくて頭のプリント基板がどこかショ-トしたらしく、糸の切れた凧みたいにどこかに飛んで行ってしまったみたい(虫屋としては珍しくないごく自然の現象である)。

 

集会の主目的は、フィニッシュ君が昨年に加入した『青森自然研究なんたら』という会報に彼が報文を寄稿したのが記載された会報と、彼がカブトムシでビ-クワギネスに認定された号を愛でること、そして先ごろ10年ぶりに改訂された青森レッドデ-タブック2020を拝領しつつ中身にざっと目を通すことだった。

そこまでは和気あいあいと談笑し、今期の目標やタ-ゲットの話などで盛り上がった。

 

ところが、こちらからお願いしてた部分もあるのだが、彼らのもう一方の目的のひとつがオラのスマホの設定その他を変えてやろうというものだった。

どうも、この日来宅したメンバーは『鈴木による長電話被害者の会代表』という趣もあったに違いない。

オラのスマホ環境を整えることによりオラの遅れていた先進生活を改善すると共に

迷惑長電話を回避したいと見た。

 

話はオラがついに観念してガラケーからスマホに買い替えにドコモショップを訪れた際のこと。

応対したショップのね-ちゃんにオラは言った。

自分は機械オンチで更にパソコンその他に呆れるほど疎いので、設定その他になるとパニックになる。

どうせ電話とメ-ルと、その他は少ししか使わない(使えない)。

その上で、機種選定にあたっては。

①とにかく余計な機能は要らないから使いやすいこと、ディスプレイ表示の文字は最初からでかいこと。

②アウトドアに赴く頻度が高いから、落下させた際の耐震ショック性や防水機能がある程度あること。

などを要求として告げた。

するとおね-ちゃんは、二つの機種を持ってきた。

こちらは、機能、耐震ショック性、防水機能のほか電池の持ちに多少優れておりますが多少お値段が上がります、他方この『らくらくスマホは』お年寄りでも使いやすいように設計されておりまして、できることはやや前機種に劣りますが使いやすいという評判を得ていますし、お値段も安価ですときた。

『よっしゃ!らくらくでいこうやないけ!』と購入した。

買ったその晩から悩まされた・・・。

 

午前8時過ぎと午後10時過ぎにはほぼ毎夜、あと時々夜中の1時過ぎにも時々着信のブザ-とバイブ音が鳴る!。

メ-ルもメチャクチャ打ちずらく、ガラケーの時の半分以下のスピードでしか打てない。

スマホの山仲間に採集中ガラからメ-ルのやり取りすると恐ろしいほどの速さで返信されるのに驚愕して、なんでこんなに早いのかと聞いたら変換の候補が沢山出て来るから早いんですよと聞いてたんだが、オラのはそんなことない。

購入直後に卓球の指導に関わってる後輩に『オラもスマホに変えたんだけど使い方がやっぱりよく分かんねえ』と言ったら、自分とラインの登録しましょう、ちょっと貸してくださいと言われたので預けたら、あれっ?なんだこれ?とか言われて結局設定できなかった。

これ、設定がよく分かんないっすよ、女子高生にやらせるしかないんじゃない?とか言われた。

銀行の支店長代理をやっててこの手の機器にもこの年代ではかなり明るい人にもさじを投げられた訳。

 

頼みの綱はこの日集まった三人の隠密同心。

この内の二人は多分この手の操作には同年代の平均値を超えており、残り一人はこの二人にもう少し高いレベルからアドバイスできるかの知識を持つと思われる。いやが上にも期待が高まる。

まずはオラを悩ませてきた妙な時間帯の着信バイブ音の解明・・・。

目覚まし設定etcとか・・・→関係してない。

健康機能チェックとか・・・→関係してない。

とにかく関係してるかもというチェックは外せるだけ外した。

この時点で今回集合したメンバ-のCEOが呟く『うわっ!これ、すげ-使い難ェ~!』。

 

オラの要望がある程度完結したと思われた(後は実際に使ってみてどうか)という段階で、スマホの持ち主であるオラの意思とは半ば関係なく、彼らによってその設定が進められていく・・・。

だが、ここから長かった・・・。

設定が上手くいかず、『何で?』とか『どうなってるんだ?』とかの押し問答が続く。

二人が送信と受信を繰り返しながら残り一人がこの機種の説明文をネット検索しながらあ~だこ~だと言いながら試行錯誤する。

最初はこれの受信音何にします?自分のお勧めはこれなんですけど、とか言ってくれてたんだけど、最後の頃はほぼオラの意見はないがしろにされてた気がしないでもない・・・。

とにかくこの作業に入ってから二時間以上は経過した。

三人寄れば文殊の知恵というし、毛利元長三本の矢という言葉もある。

標準以上の三名が寄ってたかってここまでかかったのである。

声を大にして言いたい『何がらくらくスマホだ?』ふざけんな!。

今回の件、究極の問題は何なのか?。

オラがバカなのだという大前提を認めた上で、敢えて言わせてもらうならば、『NTTドコモと言う会社はユ-ザ-をちゃんと見てない!』というに限る。

以前にも店舗のHP作成にNTTドコモの関連会社を採用してたが、えらい目に遭った。

その件は大分以前の記事に書いたが、要は突然これまでのHP運用に関するサポ-トは中止する、引き続きサービスを提供希望するなら自分で有料のHP作成ツールを購入して自分で手続きしろというものだった。

それまで聞いていたところでは、別な手続きがありまして、それに従ってもらえればこれまで通り無料で利用できますと説明されていたが、その後問い合わせしたらそんな手続きはありません、あなたに説明した人(わが社の社員)はあなたに嘘をついた可能性があります(ふざけんな!)と言った。

信じられます?。

日本を代表するような企業の関連会社でこの対応。

はっきり言いましょう。

この会社、オラは大嫌いだ!。

でも、何故この会社の機種を使い続けているかというと理由はただ一つ。

山の中で他社に比べて今のところ電波が届きやすいという只その一点なんだ。

オラがあの林道はあそこより進んではならないと進言してた奥に突入した猪武者の車が土砂に嵌り、亀と化した後輩の車両を救出に行けたのは辛うじて電波が届いていたのが幸いした。

白神に合同採集に行ったら採集途中でそこそこの降雨となり、みんなバンガロ-に避難してきたのに一人だけ夜中の1時を過ぎても帰ってこないのがいて、さて救出に行くかと腰を上げた時も事前にどこに屋台を張るか連絡できてたからだ(あれ?これどちらも同一人物だぞ?)。

山の中の電波状況がほぼ同じになったら余計な金払ってでもドナルドトランプしてやる(お前はクビだ!)。

 

若者が帰宅した後、さて新しく設定リユ-アルされたスマホでも弄るかと学校の監督にメ-ルを打とうとしたら入力画面が変わってて、更に打ちずらくなっていた。

遅々として進まない入力に爆発して途中で止めて、フィニッシュ君にこれは何だと電話したら、それはさっき鈴木さんがパネルタッチの感度を上げてくれと要求したから、要は長押しになっちゃってるんですよ、以前と同じ感覚でタッチしてるからなんですよねと説明された。

確かにその通りでその後は普通に使えた。

世の中全て面倒くせェ~!』。

もうオラはロシアかアラスカの山中か、できればヒマラヤの寺院の傍らで朝に掃除をし、ヤギの乳を搾り、その後托鉢に出る生活を夢見たね・・・。

 

 

 

昭和のかまり(匂い)⑤】

 

件の家族を描いた記録映像に対する突っ込みどころは、まだ、当時のお母さんの炊事の際は割烹着を来ていたとか、色々あるんだけれど取り留めもないので一旦この辺でこの映像に関する追及は終了します。

 

昭和のかまり(匂い)④】

 

件の家庭の映像に戻ります。

まず、この家庭は朝食をキッチンに置かれたテ-ブルと椅子で摂って、夕食は居間の座卓に座って摂っている模様。

当時、食事スペースが二か所あるというのは稀有なこと。

オラの家は畳敷きの居間でちゃぶ台に座り、お客が来た時やお呼ばれした時の食事中は正座を強要されたことがオラの足の成長を阻害し、短足になったんだ。

後日ライブハウスでチェッカーズの名曲『ギザギザハ-トの子守歌』にて『小っちゃな頃から悪ガキで15で不良と呼ばれたよ』という歌詞をギター片手に即興で『小ちゃな頃から短足で15で小人(こびと)と呼ばれたよ』と絶叫したらなぜかやたら受けたな・・・。

 

この家にはまず電気炊飯器らしきものがあり、ガス式の給湯器があり、ガスコンロの火口が二つあり、更に小さいけど冷蔵庫を所有している。

映像では確認できなかったが、これで洗濯機も所有してたら当時の庶民の生活を描いたというのは嘘っぱちである。

当時の主婦の憧れである三種の神器というのは炊飯器、冷蔵庫、洗濯機であったはずである。

オラの母に三種の神器が家に揃ったとき、何が一番嬉しかった?と聞いたら洗濯機!と即座に返答した。

井戸水を汲んで石鹸を刷り込み、洗濯板でゴシゴシ洗い、絞って

乾燥後に一部アイロン掛けって、今の婦女子に強要したら下手すりゃDVだべ。

洗濯機は徐々に普及したが、当初の製品には脱水機能が付いてないのがほとんどで、オラが目にしたのは二本のロ-ラ-が洗濯機の脇に付いており、その端に取り付けられたハンドルを手動で回して、洗濯物をそこに挟み込んで脱水するものだった。

冷蔵庫は、正しくはだいぶ前からあるにはあった。

だが、それは木の箱の内面にブリキの板を張り巡らせ、一番上の段に大きな角氷を乗せてその冷気で冷やすものだったが大きな角氷を溶ける都度補充しなければならないので家庭向きではなかった。

この冷蔵庫を最後に見たのは中学校の用務員さんの用務室の一角に現役で使用されているのを見た時だ。

因みにだが、このタイプの冷蔵庫、未だに製造されている。

誰が使うのか?と思うだろう。

寿司屋さんとかである。

多分だが、冷気の当たりがやさしく、湿度を適度に保てるのがその使用理由と思われるのだが、これを導入している寿司屋さんなど、オラからすれば座った瞬間に金を取られる恐怖心があるので入れない・・・。

炊飯器にしろ、当時の主婦の家事にとってどんなにありがたかったことだろう。

これら三種の神器は主婦の家事の時短に革命をもたらしたわけである。

真冬に冷たい井戸水などで洗濯板で洗う苦痛、カマドで炊くご飯は薪に火をつけるとこから毎度始まり、火力を絶えず監視しなければお焦げだらけになる危険もある。

冷蔵庫はメニューの選択肢が増え、買い物の数を減らすにも役立ったことだろう。

冷蔵庫に冷凍機能が付いてからは親父は晩酌のウイスキーに氷を入れて呑んで悦に入ってた。

後日談だが、大学生時にアルバイトしてた居酒屋に三沢の米軍の連中が飲みに来ることがあり、白人兵は普通にロックで飲むこともあるけど(しかし、水割りを頼む奴はやはり少なかった)黒人兵は何呑む?と聞くと殆どが『ウイスキー、ノ-アイス!』だった。

店長にあいつら何で氷を拒否するの?と尋ねたら、『黒人は貧乏な家庭の子が多く、氷を入れて冷たくして飲むという習慣がないからなんだ』と聞いて驚いた。

 

インスタントラ-メンを最初に食ったのはやはり『チキンラーメン』だったように思う。

その後『チャルメラ』や『出前一丁』あたりが出てきたような気がする。

確かな記憶では小学三年生の時に内地の母の実家に赴く際に青函連絡船の中で初めて日清のカップヌ-ドルを食べたのだが下痢ピ-になってパンツを汚した苦い思い出がある。

カレ-はどうか?。

我が家では母の実家が食堂をやってたこともあり、最初は小麦粉とカレ-粉を炒めたので作ってたけど、後に『グリコのワンタッチカレ-』が主力になった。

この商品は味が甘めで、子供のいる家庭にはベストマッチだったかも知れない。

後に『ハウスバ-モンドカレ-』が発売されて、我が家ではカレ-ル-をこの二つ半々で入れるのが定番となった。

ワンタッチカレ-はその後いつの間にか製造中止となり、寂しい思いをしてたところ、先日ネット検索してたら復刻版が再版されてると知った。

近日に注文しようと思う。

カレ-には色々な思い出がある。

近所の一歳年下である『タクヤ』という子の家に遊びに行ってたら、お昼に彼のお母さんが『お昼ご飯食べていきなさい』とカレ-をふるまってくれた。

だが、そのカレ-には肉が入っておらず、野菜も少なかった。

アホなオラは思わず『あれ?このカレ-には肉が入ってませんね』と言ってしまった・・・。

お母さんは『直ちゃんの家はお金持ちだからお肉入れられるけどウチじゃこんなカレーなのよ』と言われて自分の失言を心から恥じた。

けれども、タクヤの父は高校の教師で官舎住まい。

さほど経済がひっ迫してるとも思えない。

オラの家で肉入りのカレーが出て来ると言っても三か月に一回くらいだど・・・。

どうなってるんだと考える都度に分からなくなった。

カツカレ-なるものがある・・・これはな、なかなか食べれないものだった。小学三年生までは年に一回、クリスマスの日に長万部駅前にある『パーラ-洋』という食堂で食べる我が家のイベントだった。

その後は家でクリスマスの夜に食卓にカツカレ-が供されるようになったが楽しみだった。

そして、我ら子供たち以外にもこのカレ-に心躍らせる獣がいた。

我が家の愛犬『ペス』である。

普段は犬なのに猫まんましか与えられてなかったのでこれを喜ばないはずはない。

はたして、ペスのエサ皿にご飯を盛り、カレ-を薄めて肉もチョンと載せてかき回したご馳走を持って玄関に降りたら、既にペスは発狂してた。

換気扇から肉の匂いが漏れてたのだろう。

カレ-は犬をも至福に導くと思ったものだ。

 

今の若い子はお菓子とジュ-スで歯が溶けている。

青森市横内十文字付近に居住するホンドキツネなどがその典型だ。

オラたちの時代はお菓子は、親が買ってくれないし、買えるだけのこずかいもくれない。

ジュ-スもまた然りである。

オラが保育園児だったころに最もポピュラーだったジュ-スはサイダ-でありますな。

だが、既にその高級品として『ファンタオレンジとグレ-プ』は既にありました。

コカコ-ラもあったと思うが、薬臭いイメージがあり、最初は好きじゃなかったような気がする。

サイダ-というか、まあラムネとして売ってるのをガキが商店などに行って飲むわけだが、それは例のビ-玉を押し込んで飲む奴。

それとは別に王冠で蓋をされた本格的なのもある。

オラの家に夏期に来客があったとしても出す飲み物はお茶である。

ところが、明らかにオラの家より所得が低いと思われる家でサイダ-を箱買いしてて供する家があった。

学生時代に組んでたバンドのギタリストであるヒデオの実家がそれだった。

箱が二段積に置かれてあったのを見たとき、ガキの頃にこれ見たら嫉妬してただろうなと思った。

話を昔に戻して、オラが小学4年かそこらで衝撃的なジュ-スが世に出てきた。

ファンタアップル』である。

既に同級生は試飲を終えており、『この世のものとは思えないとか衝撃的な味』とかで騒いでいたが、オラだけがその味をまだ知らなかった。

そこでおらは犯行を決意した。

母がタンスの奥に隠し持っているパンパンに膨らんだ小銭入れからくすねてファンタアップルを買おうと・・・。

ファンタシリ-ズ始め、大体のジュ-スの価格は1本50円くらいだったと思う。

それくらいくすねたって気が付くはずがない。

犯行の動機は固まった。

長万部町の奥貫商店という店に急行し、震える手で店のおばちゃんにファンタアップルください!とお金を渡し、飲んだ時のその天上的な味よ・・・この世にこんなうまい飲み物があったのか・・・感動した。

しかし、その感動も束の間、家に帰ったら鬼のような顔をした母が待っていた。

何故バレた?大人というものはあんな小銭でパンパンの財布の中身を日に何回も数えてるのか?。

多分ファンタアップル飲みたさに焦って、犯行現場に証拠を残してたんだと思うんだけど。

ファンタアップル・・・なぜ製造中止になったんだろう。

オレンジもグレ-プもまだ生き残っているのに・・・。

 

ヤフーニュ-スのコロナ関連報道について

 

表題のニュ-スなんだが、毎日更新されてて

①感染者数

②新規感染者数

③完治者数(退院者数)

などが示されている。

その中で面白かったのが日本国地図の各都道府県にカ-ソルを持っていくとその都道府県の上記①~③が示されるのである。

そこで目を疑ったのが、北海道を検索すると地図には国後島と択捉島が日本の領土であるかのように出て来るのだ。

そこに日系が住んでいるかも知れないけどロシアに実効支配され、罹患者の正確な日本式の統計上である数が反映されてない島を何故表示するのか。

試しに竹島と魚釣島の方角も見てみたが島が小さすぎるからか、誰も住んでいないからか分からないけど姿も形もなく表示されてない。

どうせならそこまでやってほしかったな。

若かりし頃、一度だけでも街宣車の天井に乗り、スピ-カ-片手に大声で『北方領土返せェ~!』と叫んでみたかったオラでした。

 

北の国から

 

某北の国のデブな刈り上げとっちゃん坊やが重体だとかいや、もう既に死んでいるという報道が過熱してきた。

親父も爺さんもややデブだったけど妹は普通体型だし、やっぱりストレスからくる暴飲暴食が祟ったのかしらね。

もしも死んでたらとしたらどう動くべきか・・・当事国のみならず、周辺国もいろいろリサーチしてるんでしょうが、生きてたら迷惑、死んでいてもやっかいという糞ツボみたいな存在だったんだね。

この報道に群がっている日本のマスゴミも今が稼ぎ時!と睡眠時間減らしても情報収集と信ぴょう性のない記事の垂れ流しに奔走してるのだろう。

とか血筋とかって怖いよね。

刈り上げ坊やが世に紹介されたときはまだ普通の青年の趣を残してたし、世襲から除外されたマサオ氏は日本のディズニ-ランド探訪から強制退去させられた時はしかめっ面して拗ねてたけど、謀殺される直前にはただの気のいいビジネスマンだったからね。

事が起きて、さあ今からこの椅子に座れ!っていうのもな・・・。

 

昭和のかまり(匂い)③】

 

続編ですが、もう少し犬猫について書いておこう。

犬も猫も古来から人に寄り添って生きてきて、人の手によって品種改良されて、人の都合のいいように進化?されてきた。

そのせいか、原種に比べて体質が病気とかに弱い。

穴倉に突入させられて獣を狩るために作られたダックスフントなどはその体型故に腰痛持ちが多いという(いと哀れなり・・・)。

動物学者によると犬は猫よりもその歴史上において人との共存生活期が長い故に、もしもこの世から人間が絶滅したら、犬も生き残る確率は低いと言っていた。

人に頼りすぎてるというわけだ。

一方で猫はまだ原始の血が濃くて、狩猟本能に長けているから犬よりは猫の方が生き残りやすいと言ってた。

この場合の犬とはオオカミから遠く離れた品種改良された犬を指しているとは思うんだが・・・。

これは本当だろうか?。

例えばオラが小学校の6年間を過ごした北海道では野犬は多かったが野良猫はさほど見なかった。

野犬かどうかの見極めは

①首輪をしてるかどうか。

②臭いや汚れ、毛並みはどうか。

③出会った際に唸り声をあげるかすり寄ってくるか。

大体はこんなものか。

犬は猫と違って集団で生きる(助け合ってと言えば聞こえがいいが要は狩りが下手だからと言えば言えるでしょう)ものです。

小学校のときに野良犬に噛まれた大事故はなかったものの、5~6頭の野犬に付きまとわれてうなられると恐怖だったす。

オラは長万部町の曙町3区というところのガキ大将だったので、年少のガキに野犬に取り囲まれて襲われそうになったら両手を首の後ろに組んでしゃがむように姿勢を低くし、常に犬の顔に対して尻を向けろという防御方法を教えました。

これを徹底してればまずどこかをハスられることはあっても大けがはしません。

因みにこの防御方法は母から伝授されたものです。

襲われたら、その犬の特徴などを大人に話すと、棒の先にロ-プの輪っかを付けた集団がその犬らを追い回します。

そんなんで素早い奴らを仕留めれるとは思えないんですが、何故か野良の集団は暫くいなくなりました。

なんでかな・・・と思ってたんだけど、もしやですけど、当時の農家は結構な確率で空気銃を所持してたのを思い出しました。

あれでやっつけて鍋にしてたのかも知れません・・・。

 

猫は当時もいたにはいたけどさほど野良猫を気にしたこともないです。

野良猫って漁村の周りに多いよな~てなことを思ってました。

青森で山にクワガタ採りに行くようになってから気が付いたことがあります。

十和田湖に近寄ると夜中の道端に子猫が出てきます。

路面に出て来るネズミや車のライトに寄った蛾などの昆虫を捕食するためです。

その野良子猫が9月になると姿を見る機会が少なくなります。

晩秋の頃になると皆無です。

つまりその年に生まれた子はほぼ淘汰されて死んじゃったんです。

それが毎年繰り返されます。

野良猫の平均寿命はせいぜい1~3年と言われてます。

死因は白血病や猫エイズ等の病気が多いみたいですが、その他の天敵にやられるのと、山の中だと晩秋以降餌にありつけないのも大きな要因と思います。

だから前述の学者さんがいうのは年間を通して餌を確保できる環境にあることが前提なんだろうなと思います。

 

さて、タイトルとはかけ離れた記事を延々と書いてまいりました。

本題に戻ります。

犬はなぜ人間と暮らすようになったのか。

それは狩りの効率を上げるためとお互いにより安全を確保するためでありましょう。

それから時代は流れて・・・古来から昭和40年代までの犬を飼う理由は『番犬』であったからです。

今なら高級マンションではオ-トロック監視カメラ、アルソックその他で万全な警備のもとで暮らしてらっしゃるハイソな方もおられるが、当時のアルソック的な役割は犬が一手に担っていたのである。

怪しい奴が来たのに吠えない番犬は失格だったのだ。

愛玩犬としてではなくその時代にゴ-ルデンリトリ-バ-が導入されてたら即解雇だったであろうな。

吠えるどころか泥棒の手を嘗め回すわ、ボ-ルを投げればあっちに行くんだから。

だから、前記事で書いた『スピッツ』は可哀そうな犬なのよ。

彼らは怪しい奴に吠えるという自分の仕事をDNAに書き込まれたままに忠実に仕事してただけなんだ。

それが彼らの使命を知らない愛玩犬欲しいだけで調教もできないバカな飼い主にもてはやされたのがこの犬種の不幸の始まりだった。

猫はどうだ?。

この当時単純に猫好きで飼う人もいたが、この時代に庶民が猫を飼う理由・・・それはネズミを駆逐してもらいたいということに他ならないのではないですか。

その他の理由としては犬より食費が掛からないとか?・・・。

今の若い人は野生のネズミを見たことはあっても、それが毎夜天井の上を走り回ったり部屋の隅を駆け巡ったり、米びつその他を荒らされたりという経験はまずないでしょう。

昔はそれが普通だったんですよ

諦めてる家以外にはネズミ捕り器は常備でしてたからね。

ネズミを捕る資質があるかどうか家の婆は子猫の内に、前足を両方掴んで持ち上げて、尻尾が巻き上がるのが狩り上手で、垂れ下がったのは駄猫と判断してました(誰から習ったんだ?)。

オラが3~4歳の時にネズミ対策で2匹の猫が非常招集されたんだけれど、ネズミは捕らないし餌ばかり食って、おまけに押し入れにしまった布団の上にウンチ垂れてたもんだから婆に箒でシバカれて2匹とも家出してしまいました。

 

昭和のかまり(匂い)②】

 

前記事の続編である。

件の家庭では犬を飼っていた。

どこかで洋犬の血が混じったと思われる雑種であるが、当時日本古来の犬であろうが洋犬であろうが純血種を飼っている家は殆どなかった。

大体にして放し飼い状態に近い飼い方をしてた人も沢山いたのでどれが野良犬でどれが飼い犬なのかもよく分からなかった。

野良犬に噛まれる事故も時々耳にしたし、首輪を付けてない犬の集団が5匹以上闊歩してると結構怖かったものである。

オラが小学生の頃に爆発的な人気を博した犬種がある。

スピッツ』だ。

真っ白で毛が長く優雅、体も柴犬程度の大きさで手ごろな飼いやすさと思われたのだろうか。

日本全国的にこの犬が飼われてもてはやされたが、すぐにその終焉が来た。

無駄吠えが多く、とにかくやかましいという理由だ。

本当は今でもそうだが、その犬種を躾ける知識が飼い主になかったのが最大要因なのだが、一体何百匹というスピッツが飼育放棄されたのかと考えると憂鬱になる。

話を戻すとこの家庭では半ば座敷犬扱いしている雰囲気があり、驚いた。

当時は鬼は外!ならず犬は外!が当たり前であったからである。

当時の犬猫は蚤、シラミ、田舎ではダニも付けて帰ってくるから当然と言えば当然。

この家は都会育ちだからもうそんな害虫がいない環境にいたのかね・・・。

昭和のかまり(匂い)①】

 

先日、昭和45年頃に撮影の東京近郊の中流家庭を記録したと思しき映像の動画を見た。

どうもお父さんは工場勤務のサラリーマンで、持ち家か借家かは定かではないが一戸建ての居宅。

そこにお母さんと小学生の姉弟4人住まいという状況。

その食事や生活風景を描いたものだが、見てみて結構驚いた。

 

まず、家族4人分の朝の味噌汁の出汁をとるのにイワシ煮干しを贅沢にも10匹は入れてる!(オラの家はその半分くらい)。

おかずには卵焼きやウインナーソーセージが付いている!。

当時ようやくちょっとだけ贅沢に栄養を付けようと、卵を毎日食べようと思えば食べられる時代になってたかと思うんだが、ウインナーソーセージとかが付いてくるなんてそうそうなかったはず。

オラの家は共稼ぎで親父は海上保安庁灯台課の国家公務員、母は看護師で3日に1回くらいだったか夜勤が回ってくる。

母が夜勤の時は親父が食事当番なんだが、チキンラーメンかご飯の上に生卵を溶いて醤油を掛けまわした卵メシ、或いはメシにバタ-を溶かして醤油を掛けたバタ-ご飯しか食べた記憶がない(他のおかずなんかある訳がない)。

まだ、国民全体の食糧事情が悪く、小学校では鯨の肝臓から採った『肝油』を夏休み前に支給されたものだった。

小学4年生頃に定番だった赤い『イチゴ味(イチゴの風味はなく、ただ赤いだけ、当然だろ)』に加えて黄色い『レモン味が新登場』して興奮した記憶がある。

これは確かに甘さの中に酸味があってレモン的?な味がした。

この肝油だが、一日に数粒ずつ食べなさいという推奨だったけど、当然ながら空腹な我慢できない奴は初日に完食してたな・・・。

寄生虫がいないか提出を強制された『検便』では毎回クラスの何人かが引っかかっていた。

この映像の姉弟は察するにオラより7~8歳年上と思えるのだが、中央と地方の差なのか食事事情も結構異なるようである。

映像の後半の夕食には湯豆腐が出てて、たまげた。

 

続いてこの家庭にはテレビがあった。

さすがに白黒だったが、この時代に個人でテレビを所有してるとはなかなかのものである。

オラの家ではオラが3~4歳くらいに白黒テレビが導入され(それでも一般的には早い方である)『ゲゲゲの鬼太郎』はまだましだが、『妖怪人間ベム』が始まる前には姉とトイレに入る順番を争ったものである。

まだ普通にお化けも妖怪もそこかしこに居るものと思っていた。

ウルトラQ』を見たのもその頃だろう。

カラーテレビが普及し始めたのはオラが北海道に移住した小学校1~2年生からあたりだと思う。

キドカラ-とか『赤、青、黄色、サンカラ-薔薇!薔薇!薔薇!♪』のフレ-ズが懐かしい。

 

姉弟の日常風景としてお姉ちゃんがリカちゃん人形みたいな人形に夢中になり、弟はプラモデルを作成する映像が流れる。

リカちゃん人形以前は『フランス人形』が女の子の憧れであり、でもそれは着せ替えで楽しむのではではなく、基本的には見て楽しむものであったような気がする。

これらの人形やプラモデルを彼らはどう手に入れたのか?。

映像の流れからいって買ってもらったのだろう。

オラもプラモデルには夢中になった。

だが、こずかいに乏しかったのでマムシ(毒蛇)を採ってその購入費に充てていたのである。

近所のスクラップ屋の爺さんが死んだ奴なら確か100円~150円、生きてるなら300円~500円で買い取ってくれた。

片やおこずかいで買える人と、半ば命を掛けなければならない人と・・・でもプラモデルはそれほど欲しかったんである。

仕入れ

 

コロナウイルスのおかげで長いことマスクはおろか、消毒液も手に入らん。

ス-パ-に買い物に行ってもトイレットペーパーすら1回の購入で1袋までと書かれてる。

マスクは赤枯れマット作成に必需品だったのでほんのちょっと在庫はあるが、ほとんど外出してないので使ってない。

消毒液もまた虫屋に必需品なので在庫はあるはずなんだが、店舗閉鎖に伴い、どこに埋もれているのか行方不明だが、あるにはある。

このところは週に1~2回近所のコンビニかス-パ-に食料品などの買い出しに外出する以外外に出てないからこれでいいのだ。

だが、そのコンビニの入り口に『消毒にお使いください』と消毒液のスプレーが置いてある。

一般消費者が手に入れられないのにどこから仕入れてるのか?。

重要度からいって優先的に回してもらえるのであろうか?。

コンビニのオ-ナ-なんぞはこれらの仕入れ品からなんぼかくすねて自分の家庭に持ち帰ってるんじゃあるまいなと下衆の勘繰りしたりして・・・。

まあ、ちょっと謎である。

春の目覚め

 

インドのコブラ氏から半年ぶりにメ-ルが来た。

鳥獣狩猟免許を本気でとろうかと思案中とのことだった。

春になって目覚めたんだね。

蛙が目覚めると、それを捕食する蛇も起きだし、するとその蛇を捕食する猪が騒ぎ出すという・・・彼は食物連鎖の頂点に立つ覚悟を決めようというわけだ。

よかろう、やりなはれ。

以前に、よっちゃんにも狩猟免許取りなさいと勧めたことがあったが、その後その取得に動いている気配はない。

長いスパンで北東北から絶滅扱いされてきた獣が戻ってきて、近い将来に異常繁殖すると思われる今、狩猟者の復活育成は急務と思われる。

世界遺産登録だと喜んでいる場合じゃない。

全て食い尽くされるでな。

よろず、自然界はバランスが重要だと思う。

古来、人の世になってからは人間がそのバランスを保ってきたが、その役目を放棄あるいは破壊に走ってそれを狂わせてきたと思慮。

 

コブラ氏に告ぐ。

山の民に言わせればアナグマは脂が大量にあって旨いらしいで。

臭いかどうかは脱血を含む処理次第。

オラの山の師匠に言わせれば猿が一番旨い(肉が甘いらしい)とのことだったがそれだけは勘弁下されと丁重にお断り申し上げた。

オラの好みは熊と猪である。

採れたと一報いただけたならどこにでも保冷バッグ片手に駆け付ける所存故、よしなにお願い奉る。

 

やり切れねェ・・・

 

世界を震撼させている新型コロナウイルス。

国で発表してる感染者数が毎回300~400人未満で増え続け、未だピ-クすら見えてこない。

かつて世界に絶望感を与えたペスト、スペイン風邪etc.に比べれば死亡率は低いものの感染力の強さが及ぼす恐怖感は計り知れない。

当時は情報も、有効な治療方法、機関もなく訳も分からず亡くなった方も多かったことだろう。

だが、現代にしてこれである。

見えない敵というのは武器にしろ幽霊にしろやっぱり怖ェ。

 

小生、ガキの頃に風邪を拗らせて肺炎を患っており、更に前年には肺疾患から血ヘドを吐いてるので今罹患したらハイそれまでよ!が確定と覚悟。

穴ウサギのように2月中旬から自宅に引きこもり、週に1~2回近所のコンビニかス-パ-に買い出しに行くだけで他人との接触を断っておりました。

今年、我が採集人生の集大成として、かつて幼少期を過ごした北海道遠征採集を計画していたのですが、この分じゃ断念せざるを得ないでしょう。

それよりなにより、卓球の指導に関わっている学校の1年生女子がせっかく県予選を勝ち抜き何年かぶりに全国選抜大会の代表になったのに、大会そのものが中止。

その他、今年の卒業生の晴れの卒業式中止。

何より可哀そうなのは新3年生の集大成となるはずだった春季大会も総体も、何もかもが中止。

彼女たちの青春の重要な一部があっけなく奪われてしまった・・・。

彼女たちが心底競技に対してひたむきに向き合ってきたかというと心元ない部分は多々ある。

しかし、親御さんもそうだろうが指導陣も最後の打席に立たせてやりたかったという無念はあるんである・・・。

 

五輪の代表を得ていた選手はどうだろうか。

1年延期となったが、今の状況だと来年開催できるかも怪しい。

以前の記事にも書いたが、競技寿命の短い競技において4年に1回の五輪というものは生まれた時に既に運命が決まっているという説もある。

今回の事態によって本来金メダルをとるはずだった人が無冠に終わる可能性もある。

来年に延期となったことによって、国と種目によっては代表が変わることもあるかもしれない。

本人の努力と無縁に結果が変わってしまうという無慈悲・・・。

 

ここ何十年かで世界を騒がせた病。

エボラがあった、サ-ズ、マ-ズがあった。

どれもが恐ろしいものであったが世界的に見れば局所に押し込めれたことで、我々はどこか対岸の火事と思っていた部分はあったのか。

新型コロナウイルスは世界中に蔓延したことにより前述の、より致死率の高い病よりも世界中に恐怖心を与えたと言えるのだろうか。

 

今回に世界を恐怖に陥れ、経済も破壊するウイルスであるが、忘れてならないもっと恐ろしいものがある。

火山活動その他の天変地異、小惑星の衝突・・・よりも、もっと現実的で、より人類を絶滅に近かずけるもの・・・核戦争でありますな。

欧米を中心とした核シェルタ-の売り上げの伸びは凄いらしい・・・。

日本の業者もアメリカのメ-カ-からの輸入販売が順調なのだそう。

ただ、日本の業者が輸入販売している商品を見たら価格では1500万~くらいからのラインアップみたいだけど、どう見ても水や食料品の備蓄を含め半月しかもたないように思える。

その後も生きたいなら最低1年以上はそこに籠れる備蓄を含めたライフラインの確保が必要なんじゃないかしら。

北朝鮮の異常に深い地下鉄はそのまま核シェルタ-となってるみたいだし、永世中立国、スイスはほぼ全国民を収容できるシェルタ-を持っているという。

世界中のミリオネアたる大富豪は当然核シェルタ-など数か所に所有していると思う。

どこに所有する?。

まず自宅、そこから自前のジェット機で危機回避できるところ。

そして、核戦争が起きたとして最も安全性が高いと思われている南半球のオ-ストラリア近辺なのかな。

それを想定してかどうか知らないけど、たしか昨年あたりでニュ-ジ-ランドは外国人の移民を禁じたか外国人の土地購入を禁じたような・・・。

ビルゲイツは多分この辺に既に所有してたりして・・・。

 

ここであなたに問う。

核戦争によって地球上の全人類(約70億)の99,9%が死滅したとするなら残りは7百万人。

この中にビルゲイツがいる可能性は高いだろう。

その他は彼以外の富裕層と各国要人並びに各国が選び抽出した知識人や技術者。

そして、その中には有色人種は少なく殊に東南アジア系は僅かな気がする。

そんな極めて選抜された彼らに取り残されたあなたはどう思う?。

生き残る確率の高いノアの箱舟に乗ったビルゲイツらに唾を吐き罵り、てめえらだけ生き残りやがって!と言うか、人類の復興はお前らに託した!と言うか?。

後者は殆どいないでしょうね。

自分ならどうだろうか。

どうせノアの箱舟には乗れないし・・・。

努めて動物的に死んでいきたいかな・・・。

実はこんな世界を描いた映画がある。

中国とアメリカが中心になって核シェルタ-もクソもない戦争をやっちまって最後にオ-ストラリアに生き残った人間も、もう生き残れないと悟って自ら命を絶ってハイそれまでよで終わる、現実と非現実を垣間見せてくれる作品だ。

これ見た後のやるせなさったらなかった・・・。

 

コロナウイルス・・・こんなもんに負けてたまるか、オラが負けても誰かが勝つ!。

でもオラも負けたくないからひたすら籠ります。

師曰く、君子危うきに近寄らず・・・。

この趣味の将来

 

先日、隠密同心から一報があった。

今年の1~2月に青森の特別保護地域で違法昆虫採集をしていた輩が連続して逮捕されたということであった。

このことは報道されてないので事実でない可能性もある。

しかし、我らの同心から挙げられてくる情報の精度は極めて高いことから事実である可能性は十分と捉えている。

短期間に複数人が逮捕される・・・それが我らが青森県でという嘆かわしさよ・・・。

輩のタ-ゲットは状況からみて恐らくオオクワだったのではないかと思われる。

オラ達から見れば信じられない大胆な違法行為なので、あるいは生半可な知識だけ得た半素人の犯行だったのかも知れない。

いずれにせよ趣味の世界であれやってはいけないことを先に知りえる環境作りも必要かなとは思う(極めて難しいが)。

 

前述の件をフィニッシュ君に連絡したら、青森を含む東北地方にも鹿だけじゃなく、猪まで北上して入り込んできた点を踏まえてその監視と対策のためにお上が特別保護地域な監視装置の設置を簡易化する許可を法案として出したように聞いた。

これが事実なら前述の違法採集者は監視される可能性が高く、違法採集の抑止力になるかも知れない。

ただ、この電話中にこの話をしてたら、調査人の仕掛けたトレイルカムの画像に写ってた獣は鹿でも猪でもなく額にM字のマークを付けたホンドキツネだった・・・と想像したら笑いが止まらなくなり彼には失礼した。

 

本年度3月24日版の東奥日報に記載されていたが、青森県では10年ぶりにレッドデータブックを改訂し公表した。

これは絶滅の恐れがある野生生物を分類したものだが、既に絶滅扱いだった猪とニホンジカが北上してきて『要調査野生生物(Dランク)』に大きく引き下げられた。

大きく引き下げられたものの、この評価は後の影響を熟慮したものであろうか?。

ハンタ-はもう既に6~7年以上前にこの異常に気が付いて警鐘を鳴らしていたにも関わらず国も行政もほぼ対応しなかった。

知り合いのハンタ-が今直ちに青森、秋田、岩手のハンター総動員で駆除しなければ侵入は防げないと言っていたのはもう5年も前だ。

気候の変動にもよるだろうが今後増殖して農作物に莫大な被害をもたらすことは想像に難くない。

先のハンタ-がしみじみとオラに言ったが『山の牧草地に鹿の姿が見えたらもう終わりだ(この段階から爆発的に増えるらしい)』。

 

今回のレッドデータブック改訂に際して???と思ったことが一つある。

青森県のオオクワガタが生息環境の悪化によりDからCランクにひとつ上がったとある。

これがどうにも腑に落ちない・・・。

国は国勢調査なるものを実施してるし、同時に動植物の生態調査もしている。

だが、動植物の生態調査に関しては正確にその増減を把握してるとは思えない。

オラ達はほぼ主にライトトラップの手法でオオクワガタ他を採集してきたが、月齢や天候によってスタ-トが悪い後半が伸びなかったはあるものの結局年間採集数はずっとあまり変わらなかった。

この十数年で発生数が極端に変わったと感じたのはミヤマ、アカアシ、ノコギリ、カブトムシ、ヒメオオクワだ。

だけどこれらも2~3年経てば復活してる。

これらの発生が極端に減少した際に共通しているのは前年に大雨が降っていること。

つまり、それらの生態から言って多くが溺死した可能性だ。

オオクワはどうかというとアカアシ同様材産みだがアカアシほど対応能力が高くない故に落ち枝や倒木には産卵し難い。

立ち枯れの根部に産卵場所を確保することはあるが、ある程度に適度な湿度を保っていられる環境であることが生存条件と思われる。

よってオオクワの死滅に大雨は前述の種ほど影響は少ないはずである。

にも拘わらずDからCランクに上がったとは何が要因したのか。

検証場所と方法が適切だったのか?という疑問が出て来る。

今回の調査結果の調査場所は十和田の奥入瀬渓流を主体としてないか?という疑問が出て来る。

遊歩道を散策中の方に落ち枝が落下して命中し、重傷を負ったことから管轄である青森県と訴訟になり、県が敗訴したことから立ち枯れや枝枯れの多くを毎年伐採することで材に産卵する虫に多大な影響を与えたのは明白である。

この際に最も影響が著しかったのは我々クワガタ屋にとってはアカアシであるが他の虫にとってもその影響は多大であったろう。

昆虫が極端に絶滅寸前とか減少する要因は自然現象もあろうが、その最大要因は人の経済活動による無秩序な開発によるものが明らかに大きい。

昆虫採集愛好家が=環境破壊者とイメ-ジされないよう願う。

 

 

 

 

 

 

【2020.3.3 ついに来た来たNHK集金人】

 

十年以上我が家を訪れなかったNHK(日本秘密警察)の集金人が遂に来た。

待ってたぜェ~!。

だいぶ前の記事にも書いたが、まだ親父が生きてた頃に自衛隊上がりの集金人が来たことがあった。

両親が認知症の発症をし、やむなく介護のため勤め先を退職して間もなくのころであった。

その頃までは我が家でもテレビは見てたのだが、親父がNHKの受信料は払う必要がないという強烈な思想だったのでほぼ払ったことがなかった。

一度だけ親父が留守の際に母が集金人に払ってしまい、その際の親父の発狂具合ったらなかった。

払ったら認めたということになる、お前は何てことしてくれた!という具合だ。

その後来た集金人は親父が追い払ってたみたいだが、また数年してやってきたんだな。

呼び鈴に出た母が誰かとモゴモゴ対応してるみたいだったから二階からオラがおりてみると集金人だった。

集金人はテレビ見てるでしょ、払ってくださいなと言う。

そこでオラはこう答えた。

①オラと母は払ってもいいと思ってるが父が許さない。勝手に払うと発狂する。

②オラの家はHNKは見ない(と言うことになっている)。

③オラも今は無職で家のカマドは親父である。

④徴収したいなら親父を説得して徴収してほしい。

集金人は、親父さんは今どこにいますかというので、〇〇会病院の7階(閉鎖病棟)にいるから、徴収したいなら親父と直接交渉してほしい。許可が必要ならオラも立ち会うと告げたらスタコラと去っていった。

 

その集金人が十数年の時を経てまたやってきたわけだ。

昨年の10~11月だったかに郵便で受信料を払ってない方は速やかにお支払いください、払わないと然るべき措置をとりますよ的な書簡を受け取っていたけど無視してた。

何故ならば地デジに対応しなかったからだ。

集金人が来た際、地デジに対応しなかったのでテレビの機器自体はあるがDVDプレ-ヤ-をみるためだけのモニタ-でしかない。

奥から聞こえるこの音はなんだ?と聞くので、パソコンのユ-チュ-ブで空母信濃の特集を見てただけだと説明したけど怪訝そうな顔をしてたので、疑うんなら中に入って見てみろ!と言ったら家屋内には入ってはいけないことになってるという。

家主が入っていいというのだから構わんだろうと言っても入れませんと拒否した。

オラが学生の頃はズカズカと入ってきたのにこの警戒感・・・N国党が効いてるのかいな?。

昨年にガラから買い替えたスマホもまともに使えないくらいのアナログ人間だから当然ワンセグって奴でテレビも見れないようになってるし・・・なんならここまで持ってくるか?と言ってもそれには及ばないという。

ならばもう来ないでくれるか?うっとうしいからというとそういうわけにはいかないとおっしゃる・・・。

何年か後にまた来るのかよ、玄関先に『N国党戸山連絡所』とでもステッカ-作って張っとくか?張る訳ないわな、嫌いだもん。

 

 

【後輩】

 

オラの中学の一個下の卓球部の後輩から電話が来た。

彼は現在オラが指導に関わっている高校卓球部のライバル校のコ-チとして活躍している。

そんな間柄ではあるがどこからともなくオラの体調不良を聞きつけて心配して電話してきてくれたらしい。

有難いことである・・・。

お互いの近況報告などしながら、彼がそれではお体に気をつけくださいと電話をクロ-ジングに入ろうとする・・・そんなのオラが許すわけない。

孤独で会話に飢えてるオラは仲間内から電話魔として認知されてる。

オラの山仲間の若い連中はこの辺をよく心得ていて、あの手この手でオラの追撃を躱そうとするのがまた面白い。

だが、オラも時折ヨダレの出る情報を流すから無視できないというところでオラの蜘蛛の糸に引っかかる訳だ。

その日、気のいいオラの後輩は延々一時間余りオラと会話する羽目になったのだが嬉しかった。

この孤独を紛らわせるにはデレ猫かバカ犬を飼うしかないと思ったりしたが自分の余命に自信が持てない限りこれらは飼えないと思う・・・これまた悲しからずや。

【けんますクッキングと 江戸長火鉢に嵌る】

 

オラは料理は嫌いじゃなく、作ってる分には割と好きである。

凝った料理もごくたまにはするが(一週間掛けてビ-フシチュ-つくるとか・・・)。

でも、B級グルメ的な安く早くおいしい料理に目がなくてすぐに飛びついてしまうんである。

何故かと言うとそれは多分酒呑みだからだろう・・・。

 

けんますクッキングなるユ-チュ-ブのチャンネルがあるのは以前から知ってたがちょっと見ただけで他の動画に移動してた。

その理由はまず顔が気に食わない(失礼!)というのと、UP主がやたらハイテンションであることや、言葉の使い方が(具材にやたらとちゃん付けしたりとか・・・)気に食わないとかであった。

それが何回か見てるうちに作りたい料理や酒の肴の趣向が割とオラと合っていると気が付き、最後まで見ているうちにあの顔にもト-クにも慣れてきた。

すると、このレシピ試したいなとかで見る回数が増えましたな。

見れば明らかにオラより年下なので、飲み会の席の隣であのようなテンションではしゃがられたら頭を『ポコポコヘッド』したくなるところだが、見慣れていくうちに『可愛い(いい奴なんだよな・・・ うるさいけど・・・)』に思えてきた。

今は普通の観念で見れますし、新着動画も楽しみに見てます。

 

もう一つ嵌ったのが『江戸長火鉢』なる動画。

UP主の音声とかはなくて調理の音に合わせて字幕で解説するスタイル。

昔ながらの食材や調理方法を取り上げつつ、オイラの大好きな池波正太郎世界も度々紹介してくれるってのも嬉しいったらねエ・・・。

あぁ・・・オイラこんな昔のちょっと肌寒い部屋で火鉢を前にチビチビ呑むのが憧れだったな~。

火力を即座に変えられない代わりに、じっくりと火を育てたりなだめたりしながら自分好みの味に仕立てていく・・・旨口の酒で流し込みながら、傍らにはデレ助の猫がいる・・・。

構ってくれと必要以上にじゃれて来る猫の額に『こりゃ!』とキセルの首で軽い一撃を加えたのちに顔をわしずかみして揉みしだく・・・。

こんなことを夢想してニヤニヤしてるってのは老境の域に入ったことに他ならないんだよな・・・。

【スポ-ツと言霊その②】

 

言霊とは、ウィキペディアから引用すると声に出した言葉が現実の事象に対し何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起き、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた・・・とある。

何が良い言葉で何が悪い(不吉な)なのか、確実に定義され、実証されたことはないとは思う。

しかし体験的にはあるんだこれが・・・。

先に結論を言ってしまうと自信の表れとか勝利への欲求なのか『勝った』『負ける気がしない』とかは勝負前に絶対に言ってはいけないと教わってきた。

不吉な言葉とは認識し難いだろう。

だが多分これが試合中にちょっとしたことで相手に流れが戻されたか?という時に強烈に、あるいはジワジワと恐怖心に変わったりするのです。

以前にある中学生女子卓球部の指導に関わった際に団体戦で、オ-ダ-次第で勝敗が決まると指導陣一致の意見となり、指導陣の読んだオ-ダ-がピタリと嵌りました。

選手らにも監督がオ-ダ-勝負とは言ってたみたいですが、ギリギリの戦いですから俺らは絶対に『勝った』とか言ってはいけないし、態度にも出してはならないと釘を刺してはいました。

だけど、オ-ダ-交換の際にこちらのメンバ-の子が思わず大きな声で『よし!勝った』と言ってしまったらしいです。

その子が対戦した相手は実力的にはその子が負けるはずないほどの実力差であったのにも関わらず自滅して負け、結果流れが大きく変わり負けてしまいました。

今でも苦い思い出です。

つい先日も全国高校サッカ-選手権にて青森代表のY高校が決勝へと駒を進め、その意気込みが地元紙に載りました。

前年度も優勝しており、今回は二連覇がかかってます。

勢いに乗り、経験も重ねている故か『負ける気がしない』と選手のコメントが掲載されたのをみてオラ『あっ、マズイ!』と不吉な予感を感じました。

結果は逆転負け・・・でした。

 

話は少し変わりますが昨今のスポーツ界では試合前に『楽しみたい』という言葉が使われてます。

オラはこの言葉は極めて繊細で微妙というかできれば使わない方がいいんじゃないの?と思ってます。

使った本人がこの言葉でリラックスできたり精神面を落ち着かせることができるならいいでしょう。

だけどこの言葉を使った(発した)選手の非常に多くが失敗しているようにも思えるんですよ。

思うにこの言葉はかなり『人を選ぶんじゃないか?』。

何を偉そうに!と言われてしまいそうですけどオラは怖い言葉だと思ってます。

この辺が本当はどうなのかスポーツ分野の精神科医の研究を期待します。

そして、言葉には意味があり得体の知れない魔力があると信じています。

 

【スポ-ツと言霊その①】

 

昨年の初めころに指導に関わっている卓球部の女子に質問をした。

①スキ-ジャンプの高梨選手

②テニスの大坂選手

③フィギュアの紀平選手

④男子テニスの錦織選手

 

以上の中で今後も世界選手権や五輪、その他のビッグマッチに彼ら(彼女ら)は優勝できるか?できると思うならその根拠は何か?言ってみてくれと。

ウチの選手らが全員ここに挙げた選手は勝つと答えたが根拠は?と聞いたら誰も何も答えられなかった。

まず、ウチの選手が今一つ二つ伸びることができない理由がここにもあると思った。

オラは自分の意見を個人的ではあるが、と前置きした上で以上の選手は勝てないんじゃないかと思っていると述べてその理由を話した。

まず、ジャンプの高梨選手。

まだ連戦連勝をしていた頃だが、急に化粧をするようになりオラはあれっ?と思った。

化粧が成績の下降を招くという非科学的なことを言うつもりはないが、勝負事の世界では勝っている時のジンクスやル-ティンや環境を変えてはいけないという不文律が存在する(信じるも信じないもあなた次第というレベルだけど・・・)。

例えば野球のイチロ-選手は食事もトレーニングもバッターボックスに入ってからの仕草も引退時まで一切変えなかった。

好きではないが横綱白鳳も土俵入りの際に左右の足のどちらかから入るかも変えてないと聞く。

彼女の場合はその時点で思ったのが身長が低いということと、外国勢のライバルが一発はあるけど二本ジャンプを揃えられないという技術的欠陥を持ってたので、そこを克服されたら勝てなくなるのではと思ったのだ。

この競技は昔はスキ-板の長さに制限はなかったのだが今は身長に対する比率が決められているはずだ。

公平という名のもとにどこかの国が勝ち続けるとル-ルが曲げられるという例かもしれない。

高梨選手は安定したジャンプを並べられるという技術力で勝ってきたが、技術が追い付かれた今は浮力を得られやすい外国勢が断然有利になったとオラは見ている。

 

テニスの大坂選手はどうか?。

先に言うけど上記に挙げた選手の中では今後も勝つチャンスがあるのはこの人だとオラは思う。

オラが最初にこの選手の姿を見たとき、あれっ?ウエイトオ-バ-じゃない?と思った。

それが4大大会で優勝した時にかなりシェイプされてた。

聞けば、その時のコ-チが彼女を説得してかなり体重を絞ったのだという。

そこまでは良かったのだが、彼女はこのコーチを解任してしまう。

環境も変えてはいけないという意味では反してるけど何か理由があったのだろう。

けれども成績は確実に少し落ちているように見える。

先日もボ-ルやラケットをコ-トに叩きつけたりしたように、彼女には精神的メンタル面が幼いように行動や言動から感じる。

ちょっと我儘なところがあるのかも知れない。

その幼さが故に彼女の言動の可愛さになってるむきもあるが・・・。

今後彼女が世界のトップに君臨するには技術・フィジカルの面もそうだが、精神面を強力にサポ-トできるスタッフが必要なんじゃないかと思う。

 

フィギュアスケートの紀平選手はどうか。

この選手は凄いとは思う。

浅田選手以降男子の活躍もあり、注目度も観客動員なども激増したこの競技だが、未だ競技を続ける上で金銭的自己負担が多すぎると言われているが、よくぞこんな選手を育てたと感心する。

で、紀平選手は今後勝てるか?というとノ-チャンスに近いんじゃないか。

紀平選手ならロシアのメドベ-ジェワやザギトワともその時の出来次第で勝負はできると思わせたが、その時点でもっと凄いのがいた・・・。

紀平選手を最初に見たときに日本にこんな選手が育ってたんだと感激したのも束の間、TV取材で年齢制限でシニアの大会に出れないがザギトワも勝てないロシア選手が3人もいると紹介されてた・・・ショックじゃ・・・。

その三人がシニア大会に出てきたらあっさりと過去最高得点を更新したんだっけ?。

コストルナヤ選手らがそれだ。

紀平選手には頑張ってくださいとしか言いようがない・・・。

ここで一旦話は逸れるが、浅田選手は生まれるのがあと数年早かったら五輪他のビッグタイトルを複数獲得していたのではないかという話。

年齢制限でシニア大会に出られなかった時に既に彼女は技術的には世界のトップクラスだったはずだ。

年齢が増すに連れ、彼女の体はジャンプを飛びやすい女の子の体型から大人の女性へと変わっていき、故障が増えた・・・。

競技寿命が短いスポ-ツ競技において五輪というものは生まれた年に既にある程度結果が決まっているという説を思い出す度に浅田真央ちゃんが頭に浮かぶ・・・。

そして女子フィギュアスケートには日本が生んだ大選手がいる。

女子のフィギュアスケートの概念を根底から覆したとも言える選手。

その名は伊藤みどり。

はっきり言って美人じゃない(失礼!)。

背が低くてお尻が大きく太腿が太い!が、それ故に彼女が当時の女子フィギュアスケートの概念をぶち破った。

当時の女子では考えられなかったトリプルアクセルを成功させたこと!。

当時の採点基準では演技面で(体型その他が)相当不利だったと思われるのだが見事に銀メダルを獲得した。

この競技における日本の至宝であると言っても過言ではないと思う。

 

最後に男子テニスの錦織選手はどうか。

彼は日本の男子選手として最高の成績を残しており、その実績を積むための最高に近い努力を継続していると思う。

が、惜しむらくは体力が持たないんだと思う。

ビッグタイトルを掛けた大会のベスト8辺りで彼の体は悲鳴をあげる。

日本人としては決して小さい方ではないが欧米勢と比べると体格も、筋肉の質も骨に付いてる腱の質も現時点では敵わない。

テニスの恐ろしさをここに感じる。

だが、彼の奮闘によって次世代の有望な選手が出て来るかも知れない。

日本人でも、この体格でもここまでできると示した彼の功績は大きいと思う。

 

てなことをウチの選手にベラベラと講義したんだが、全く興味ないという顔してたんだわさ・・・。

オラ多分もうすでに指導者としてのセンスが欠落してるんだなと落胆した。

電話営業

 

1月11日午後8時過ぎ・・・その電話は鳴った。

 

店舗営業を終了すると同時に、旧店舗で使用していた回線は廃止した。

開店当時に不要にNTTの職業別電話帳に載せたせいで用のない業者からの電話とFAXに悩まされてきた。

開店当初に多かったのが広告代理店、電飾看板屋、HP作成屋等々だが、やがて農家の産直販売、闇金、犬猫屋が増えて、次第に電気代が安くなるという業者と光回線に関する業者が多くなった。

はっきり言って迷惑なほど掛かってきた。

電話が来ると『お前らみたいな電話営業で引っ掛けてやろうって業者が一番嫌いやねん!オラと商談したかったらお前自身がここに来い、でも多分契約しないからわざわざ青森くんだりまで来るようなアホやったらお~いお茶くらいは飲ましたる』と言ってた訳。

もう一つ言っておこうか。

このNTTの職業別電話帳に載せたらどうなるか?。

オラのように不具合の方が多いから掲載を止めようとしても、そうはNTTが卸しませんねん。

担当部署になんぼ電話しようが一生繋がりません!。

曜日を読んだり、営業開始、終了間際を狙っても繋がりませんのですわ。

この回線の先に誰かおるんか?と疑うレベルす。

頭に来たオラのビジョンには回線1本、その先に96歳のババがお茶をすすってるという光景しか浮かびません。

旧回線を廃止したのでやっと平穏な日々を取り戻せたと思っておりました。

 

転移後の常設電話が久々に鳴った(光回線に改修後)。

業者『私〇〇××の××と申します』

オラ;『あに?(何?)』

業者『今お使いいただいている光回線の利用に関して何か問題はございませんでしょうか?』

(途中省略、要は乗り換えさせようという業者からの電話)

オラ;『オラが回線の契約してんのト-メイってとこだけどあんたとそこと関係あるの?』

業者『別な会社になります』

オラ『オラんとこ先月に常設電話の回線をアナログから光に変えたばっかなのになんでオラと契約してないあんたが光に変えたと、この番号知ってる訳?おかしくないか?』

『誰がオラんとこの番号を光に変えたとお前ェんとこに流してんだ?どうやって知ったんだ?答えろ!』

業者『市外局番から検索して・・・掛けてます』

オラ『お前アホか?オラ90歳の爺じゃねえぞ!声聞いて物言えよ!市外局番からならホリエモンだろうが宮崎哲也だろうが上念司だろうがひろゆきだろうが検索できる訳ねえだろ!』

業者『実は下4ケタの番号からランダムに掛けてます・・・』

オラ『適当なことを・・・いよいよアホ・・・ってより犯罪的だぞ』

『ってことはお前の会社迷惑電話掛まくってるってことになるだろうが、それ本当ににやってんのか?そのお先棒担ぎよるんか?ちゃっちゃと答えんか!』

業者『・・・・』

オラ『返答せんか!黙ってても分からんわい!』

業者『・・・(なんかシクシク泣いてるような・・・)』

オラ『もうええわ!お前が本当のこと言わんでもこの状況で掛けてこれるソ-ス出せるのって〇〇Tしか考えられねえよな、どんな図式か知らんけど下受けに競争させるとかそういうことなんだろ、どうだ?』

者『シクシク・・・』

オラ『お前さんきつかったかも知れんけど俺の契約してるト-メイのオペレーターならこんなの簡単に切り返ししてくるで、しかも俺を怒らせることなくな。大体今何時じゃと思うん?8時22分やど?初めての先に電話営業する時間やないと思うぞ(オラ的には午後19時までと思うんだが?)』

図らずもこの業者の女の子泣かしちゃったけど、前からどこから情報提供受けてる?という疑念があった。

個人情報保護法ってなんじゃいとも思ってた。彼女には可哀そうだったかも知れないがきつい社会勉強?だっておかしいんだもん。

そして、ト-メイの女子OPならこの程度は簡単に切り返してくるから逆に注意ね((笑)。

ト-メイ最強!。

 

 

タクヤ再び・・・

 

昨年末に若かりし頃結成していた高校の同級生で元組んでたバンドリ-ダ-かっちゃんから連絡があり、彼の弟のバンドメンバ-でギタ-を弾いてた現プロミュ-ジシャンのGI君が帰省したので一緒に飯でも食わないかと誘いを受けたので行ってきた。

市内のびっくりドンキ-でハンバ-グなど食しつつ会話を楽しんだ。

GI君はテレビやその他のメジャ-な媒体に出ることはあまりないので、芸名を上げても多分ほとんどの人が知らないだろうけど日本のトップミュ-ジシャンに絶大な信頼を置かれてる人物。

業界の難しい会話を聞いてもよく分からないから昔話やとりとめもない会話で、しかしそれなりに楽しい時を過ごして分かれた。

 

年を越してまたかっちゃんから連絡が来た。

オラ達のバンドでギタ-を弾いてた『タクヤ』から実に久しぶりに連絡があったので、GI君も含めてメシ食わないかとのこと。

タクヤはオラの店に1~2回遊びに来てくれたこともあったけど随分久しぶり、勿論OKした。

タクヤは同じバンドにもう一人いたギタリスト『ヒデオ』とはちょっと対照的で割と理論的で繊細なタッチのギタ-ながら弾き方は凄い『手癖』で弾くヒデオと違い感性と気合で弾く直情型のギタリスト。

ちょっと亡くなった天才ギタリスト大村憲司を思わせるような『重いチョ-キング』が特徴だった。

頭がデカくて元自衛隊のせいなのか、かなり筋肉が発達した上半身に反してプリプリに締まった細い下半身という異常な体型をしており、当時オラの頭はでかいのではないかというコンプレックスを彼が和らげてくれたものだ・・・(オラより悲惨な人間が近くにいるという)。

二人とも若い頃は結構狂暴だったので、かっちゃんが当時勤めてた『だびよん劇場』で飲んでる内に、どちらの頭が固いか?とチョ-パン合戦になり互いの額が割れて流血戦になり、かっちゃんに止められたという思い出もある(アホか?)。

 

オラはこれまで生きてきてなぜか友達もしくは知り合ってから関係性を持つ知人にマコトという名とタクヤという名が非常に多い。

それだけ流行った名前なのかも知れないがとにかく多い。

で、タクヤという名前なんだが、この名をつけられた者は悲しからずや全国津々浦々、古今東西にかかわらず付けられるあだ名というものが大抵決まってる。

代表的なのは『タコ坊主』『タコヤ』『タッコング(帰ってきたウルトラマン以降)』ETC・・・・

幼少期に彼はなんと呼ばれていたのだろう・・・。

 

飲み会は楽しかった。

久々に音楽の話もしたし、営業時間を過ぎたのにも関わらず秘蔵のレコ-ドを掛けてくれた『ウエス』のマスタ-にも感謝。

だが、タクヤと話す内に、彼がしでかした武勇伝の内の半分が実は彼による捏造と判明した。

オラ彼の武勇伝の幾つかを記事で書いてしまっている。

累代、産地偽装なし!真実をのみ追及!と歌ってるオラの店のポリシ-に貴様傷を付けたな!と憤慨。

あの話もあのエピソードも全部嘘か?と問い詰めるオラの目から奴も目をそらさず『うん、半分は嘘』と言った。

だがオラの目を見つめる奴の目はまるで三歳児の濁りのない純真な目・・・。

許すしかあるまい・・・奴の被ってる毛糸の帽子の後ろをポンポンと叩いてやった。

 

ガラケ-三兄弟ついに投降する

 

固いきずなで結ばれていたはずの我らガラケ-三兄弟・・・一番最後に取り残されるのは多分オラだと思ってたんだけど・・・。

まずよっちゃんがハイテク機器の誘惑に負けてあっさりとその軍門に下り、頭の能力の低下を認識し始めたオラが意地を張る都度操作ができなくなるかもという恐怖心と値引きの誘惑に負け、フィニッシュ君が最後の砦を死守していたところ、ついに刀折れて矢が尽き、スマホ軍の軍門に投降したようである。

ところで、アフリカのマサイ族とかはまだガラケーが主力のはずなんだが、メ-カ-はどこでいつまで生産していつまでサポートするんだろう?。

やっぱチャイナなのかな・・・。

虫屋を始めた訳

 

ここから何故オラが虫屋を始めたかについて書きます。

物心ついた時から生き物が大好きで、とりわけ親の転勤の関係で暮らしていた小学校1年から6年までは大自然溢れる北海道でその生活を満喫してました。

今でも北海道と言えば自然溢れるところという印象を持つ方が多いかも知れませんが、時は昭和40年代です。

その頃既に実は原始の体系が崩れてきたかと思うんですが今考えると信じられない豊かな環境がありました。

今では全国的にほぼ見られなくなったダイコクコガネは裏山の放牧場に行けばウジャウジャいましたし、道南では棲息が確認されており今や高額な値段のつくタガメもいました。

当時住んでいた長万部高校の敷地の外れにある幅40センチほどの小さな堰での採集だったはずです。

たまに採れても『これは吸血性があるとガキの間で認識されており即リリ-スされる厄介者扱いだった』ことが悔やまれます。

クワガタはどうかというと、当時は知識も経験も伝承すらありませんでした。

走光性があるということも知りませんし、ガキは日が落ちたら家に帰ってメシ食って風呂入ってTVは殆ど見せてもらえず寝るの繰り返し。

にも関わらずなぜか昆虫に興味のあるガキは年間数匹以上のクワガタを手にしてました。

どうやって採っていたか?というと採ろうとも思ってないのに目の前を歩いてるとかそんなレベルだからどうやったら採れるのかという発想の妨げにもなるんですよ。

当時国鉄職員の息子だった4歳下の三谷君という家の玄関が枕木で階段が組まれてたんだけど、それがボロボロになったんで新調することになり、それをバラシてたら中から特大のミヤマ♀が出てきたこともありました(家屋がそのまま自然に産卵セットになっているという凄まじさ・・・というか、毎日その枕木の上をドカドカと人が出入りしてたのに羽化不全しない摩訶不思議・・・)。

オラは近所のガキの中では優秀なクワガタハンタ-ではあったのですがその栄光に浸れるのは夏休み前までです。

少し離れた学区にX君という子がおり、この子が毎年秋田の親戚(農家)に行っては大量のカブトムシを持って北海道に凱旋すると一気にこの子はラオウとす・・・。

全てのクソガキがこの子の前にひれ伏し有難くカブトムシを頂戴するという儀式に出席するのだが、その威厳が保たれるのはおよそ半年内だったような気がする(いと哀れなり・・・)。

次に言いたいのは当たり前だが、当時カブトムシは北海道には棲息してなかったということ。

今や本土から持ち込まれたカブトムシの繁殖具合を見ると隔世の感がありますね。

生まれ故郷の酒田市に住んでた保育園児の頃、たまに親父の職場の街頭に飛んできたカブトムシを採ってたもんだが、さすがに樹液採集も、ましてや餌トラップなど知るはずもない。

このころの世のガキの多くは甘いものに飢えてたんだから、カブトムシに食わせるスイカなど勿論皆無だ。

余談だが、バナナすらまだたまにしか食えなかったし、メロンなどというものは入院している誰かのお見舞いにでもいかない限り口にできなかった。

かろうじて年に何回か口にできるのがスイカと缶詰めのミカン、桃缶、そして高級品だったパイナップル缶だった。

余談だがオラ、パイナップルは缶詰めでしか食べたことがなかったのでそれは真ん中に穴が空いている果物と認識しており、生の実物を初めて見たときはダンコ抜けるか!(肛門が抜けるか)というくらい驚いた。

だから、たまに虫かごに放り込まれたスイカはオラによって既にしゃぶりつくされており、餌とは言えなかったと思う。

 

その後

 

中学に入るとき親の転勤で青森にきたわけだが、相変わらず魚釣りや海での素潜りなどアウトドア遊びはしてたが、主には卓球部の練習にいそしんでいたので好きだった昆虫採集は一切やってなかった。

その後大学を卒業し、社会人となり、現役の卓球選手も終わるかというころに誘いを受けて高校の卓球部を手伝うようになった。

ある時、オラより二歳年下の監督から『長男の夏休み自由研究課題としてカブトムシの飼育をレポ-トすることになったので鈴木さん採ってきてくれませんか?』と言われた。

小学生の頃は昆虫少年と言われたけど、ずっとやってないし青森のどこに何がいるかも全く知らないよと言ったが『知らなくても鈴木さんなら採ろうと思えば採れるでしょ』ときたもんだ。

あんた俺のことを何だと思ってんの?。

仕方なく卓球仲間でオオクワガタを飼育しているという方に聞いてみたらN山の方にいっぱいいるらしいよと教えてくれた。

そこで翌日の日中に下見にいき、夕方から目を付けた場所に入ったらものの1時間弱で20匹も採れただろうか。

こんなには要らないわなと半分ほどリリ-スした。

この時の採集の決め手になったのがカブトムシ独特の匂いだった。

樹液の匂いも漂っていたが葉っぱに隠れてよく見えず、大まかな区域の絞り込みはしてたけど、どの木についているかは夕方突入するまで分からなかった。

そこに昔嗅いだあのかぐわしい?匂いが漂っているのがすぐわかり、その匂いを追っていったら騒がしいカブトムシの飛翔音がコナラの森の木立に響いていた。

自分の中で何かが弾けたような気がした・・・。

 

それから調べたらいつの間にか外国産のカブクワが輸入解禁になってて飼育ブ-ムになっていると分かった。

もしやと、市内の大型ホ-ムセンタ-のペット売り場に行ってみたら、そこには衝撃の生体が鎮座していた。

『へ、ヘ、ヘ、ヘラクレスだぁ~!』。

ガキの頃に夢にまで見たあのヘラクレスオオカブトが今現実に目の前にいて生きて動いている・・・。

しかもこの個体、結構大きくて、♂単品で57,000円の値札が付いていた。

憧れの虫を目の前にしたこととその値段に思わず屁がブッ!と出た。

店舗に置いてた昆虫雑誌を買い、家に帰宅してから広告を出してた業者に片っ端から『リスト送れ』と電話をかけまくり、やがて届いたそのリストを見た瞬間オラの中の何かが完全に壊れた・・・。

初競りで大間のマグロを競り落とす勢いで(勢いだけね)買いまくった。

そして、この年から地元で採集もするようになる・・・。

 

 

カブクワ生活

 

子供部屋にする予定だった部屋に肝心な子がいないため、ここを改造して虫部屋とした。

最初はブリ-ドの方が面白かったが、やがて目覚めてしまった野生の血のせいで採集にのめりこんでいく。

のめりこんではいくのだが、カブトムシ以外はどこでどうやったら採れるのかがよくわからない。

バナナトラップなるものがあると知り、掛けまくるがどうも効率がよろしくない。

作り方が悪いのかと日々秘伝のタレ作りにいそしみ、掛け方が悪いのか場所が違うのか試行錯誤を繰り返した。

そう・・・情報が無かったのである。

当時の青森市で一体何人のカブクワマニアがいるのかいないのか、それすらもわからなかった。

ここまでが大体平成17年くらいまでの出来事。

それから、平成18年ごろから十和田湖の街頭周りに出没しだしたのだが、当時はまだライトトラップをする人が少なく、やっててもオ-プンで炊く人が結構多かったように思う。

 

両親の崩壊、そして退職

 

平成14年ころから親父に認知症の傾向が出てきたなと思ったら急速にそれが進行し、母と面倒をみてきたのだがオラが仕事している日中の負担が母には重かったのか、やがて母にも認知症の傾向がみられるようになった。

親父を入院させても暴れて、2週間くらいで家に戻ってくるの繰り返し。

卓球の指導もままならないし、採集にも没頭はできない。

なによりも仕事で家を空けている時に火事を出したりしないかと気が気ではなかった。

このままではいずれは一家共倒れだな・・・と思った。

平成17年に卓球部の担当が男子から女子を受け持つことになったが、この時に強くはないけどやる気と潜在能力のある子が珍しくそろって入学してきた。

初めて女子を担当するので何をどうすればよいのかわからなかったが、恐らくこの時の新入生の世代がオラの卓球指導歴のハイライトになるに違いないと見抜けてた。

ところが母の認知症がますます症状がでてきて、親父の程度にこのままでは追い付いてしまうのではと思われた。

今のままではおそらくは来年には両親二人とも施設に入れなければならないだろう。

決断の時が来た。

4月のある晩に夕飯を食べながら、二人に死ぬまでにもう一度だけ行ってみたいという場所はあるか?と尋ねてみた。

親父は子供のころに爺さんと一時期だけ暮らした宮城に、母は実家の酒田に行きたいと言った。

よし!連れていってやる、多分これが親子揃っての最後の旅行になる、楽しむべ!と話した。

母はもう長時間の移動に体力が続かなくなってたから暑くなってからでは遅い。

5月に職場に退職届を出し、旅行は6月下旬から7月の頭とした。

旅行はやはり二人の体力ギリギリではあったが喜んでくれた。

そして読み通りに親父はその夏から入院を繰り返す内に施設に入所することとなる。

母は最初親父の入所を悲しんだが、負担が少なくなったことと自身もその状況で治療を受けられるようになったことで病気の進行が遅くなったのがはたから見ても明らかだった。

さて、次は自分の身の振り方であるな・・・。

普通なら再就職先探しに没頭しなければならないはずが、戸山のかまど壊しの異名は伊達ではない!。

一生に一度でいいから虫屋のおっちゃんやりたかったんや!(心の叫び)。

実は何も知らないまま開店してしまったのだ。

 

フィニッシュ君の記事への解説

 

店舗営業終了に伴いフィニッシュ君が彼のブログで有難い記事を書いてくれた。

開店にあたっては特に広告も出さなかったが、出さなくてもこの手の店は愛好者がいるのであれば後からじわりと口コミで集まるだろうと安易に考えてた。

この先やっていけるのかどうかデ-タもないうちから高額な広告宣伝費など掛ける必要はないと思ってた。

今まで県内で愛好者と遭遇したこともなかったから、夏の間だけ飼育する小~高校生くらいはいるだろうけど、大人のヘビ-な愛好者は果たしてこの県に何人いるのか?全く分からなかった。

開店日、そろそろシャッタ-開けるかと開いたらメガネをかけたキツネ目の少年がなだれ込んできた。

このクソ暑いのにニットの帽子を被り、肘には黒いサポ-タ-を巻いてる(入れ墨でも隠してんのか?と思ったらアトピ-を隠してました)。

寡黙なこの子の第一声は『オキピありますか?』だった。

そして結局この子は閉店まで居座り、以後長い付き合いになるとはこの時点では想像できなかった。

 

その彼がちょっとした弄り返しも含めてとオラの店に関する解説記事や感想などをよっぽど暇なのねという長文記事でその歴史を締めくくってくれた。

やっぱフィニッシュ君の異名は伊達じゃないね。

それと一番深く付き合ってるせいかやはり細かいとこまで見てるねェ。

 

-互いに影響し合う-

これは店舗やって本当に良かったと思ってる。

沢山の人と知り合い、情報交換できたり影響を受けたりもあったでしょう。

開店時の店の理念はまずまず達成できたのかな、だがあれからまる十年・・・もういいべや。

 

-メディア向きじゃない人柄-

ごもっとであります、その通り!一言もありません!。

そんなの利用しないとメシ食えないんだったら鼻の穴に指突っ込んで窒息死してやる!てなもんです。

ちょっとブラックな企業に長く勤めすぎたせいか媚を売ることにアレルギーになってるのかね。

 

-鈴木店長-

とにかく入店してきてこの人は初心者だなと感じたら『何か探してますか?』くらいの言葉は掛けるけど、素人だカモが来たとすり寄って売りつけようっての大嫌いなんじゃ。

聞かれたら教えちゃいけないこと以外は納得するまで説明はするけどこちらからベラベラ話しかけたりはしなかったね。

あと入ってくるなり近寄るな話しかけるな光線を出しまくりながら来る人も結構いるもんだね。

小さな子は苦手だったのは否めない(子育て経験ないからかね)。

小さい子がそそうしたり、備品を破壊したのは全然許せる(そも店舗散らかしてたからね)けど、倒した壊したなら自分の子に大人しくしろ程度しか言わないその親には腹が立った。

壊したんなら先に済みません!だろっ!て内心思ってたの多分オラの表情にモロ出てたとは思うわ。

多分店のリピ-タ-率ってこの辺も祟って5%は絶対ないわ。

そこは反省もするけど・・・ただの気怠そうなヤ〇ザってなんだ!新調したアイスラッガ-で割るぞこら(笑)。

それと八戸の某氏がオラのこと井筒監督って言ってたって、そんなこと言うの八戸だったら肉屋の近くに住んでるあのおっさんしかいないだろ。

ま、全然OKす、愛情をもって罵り合える仲だから。

 

-以下の記事について-

大方ごもっともな意見であり実に細かいとこまでほじくり返してくれてますな。

*年明けて1~2か月ブログが更新されてなかったら十和田湖に沈められてるか八甲田山に埋められている可能性が高いですって・・・今や不肖の義理の息子であるお前さんにんなことするわけないやん。

ただ、寝てるときにパンツ脱がされて狸穴にクマスプレ-掛けられることは十分にあり得るで。

そんなこと気にせんと歯医者行ってこいや~。

 

最後に、青森県で昆虫専門店を経営するにあたってオラを苦しめたことをさらっと書いておこう。

・流通

 ネシアやフィリピン便などのフレッシュな生体が出回り始めてくるのが2~3月あたりからなんだが、問屋側でこちらの要望する梱包をしてくれないし、大概死着保障なし、あるいはそもそも厳冬期は東北、北海道への発送はお断りが多いし、仕入れ値が安いところに限ってそれが多い。

それにリスクを覚悟で仕入れてもその頃には地元の購入者は殆ど動かないので最低4月まではその在庫を在庫することになる。

更に在庫を生かしておくためにエサ代も掛かるけど何といっても保温する光熱費が大変重くのしかかる。

問屋の多くは関西に集中しており到着まで二日というのも痛い。

一日で届く関東圏の業者から業販で仕入れても、仕入れ値が高く、青森ではさばけないような高額品やコアなマニア向けが多い。

・店舗環境

 商圏人口は青森市とオラの店まで車で1時間程度と考えるとざっと40万人程度だと思うんだが、この倍は欲しいところなんじゃないかな。

東京都近郊の関東と東北の商圏人口が同じところと仮定しても集客力と購買率に大きな差がでるはずなんだ。

つまり、商圏人口だけでは販売額を正確に反映しないとも言えるのかな。

店舗は地方の虫屋の場合なら来店の移動手段がほぼ車か自転車とかだから郊外型でも構わないと思うのだが、オラを悩ませた大きな要因の一つが冬季の除雪。

朝に起床してまず自宅前を1~2時間かけて雪かきをし、店舗に行ってから2~4時間の除雪が連日続くことはままあった。

真綿で首を絞められるような日々だったな・・・・

店舗の構造にも首を絞められた。

家賃が安いのはいいけど、それだけの造りでしかなかったのよ。

地面の上に直接コンクリートの叩きを打ってその上に箱を乗せただけの建物で、どこにも断熱材は入ってなかった。

スト-ブを設置しようにも大家さんが壁に穴を空けさせてくれなかったのでファンヒ-タ-のみ。

すると厳冬期は出勤すると店舗内の室温は大体2℃。

それで20℃近くまで上がるのが午後6時過ぎ(閉店時間だってば)。

冷暖房屋である大家さんに相談したら中古の冷暖房エアコン付けてくれたから少しは楽にはなったけど、その分電気代は増えるのに低温に弱い種を保管できるには至らないというジレンマはついに払拭できなかったな。

青森で虫屋を店舗営業してみたいと今後考える人があれば、助言の第一は『諦めなさい、止めといたほうがいい』だ。

店舗だと設備の初期投資も相当掛かるよ。

青森で虫屋をやろうとするならば、勝算の可能性があるのは無店舗販売だ。オ-クションなども最大限上手に利用した上でのネットショップなら可能性があるとは思う。

だが、この形態でも青森で生計をきちんと立てて冬季の収益源もさらに補強するとなればやはり足りないかもしれない。

そこでざっと考え付くのは専属のブリ-ダ-を必要数抱えて、厳冬期は人気種の累代品、盛期はWD中心の仕入れと販売という方向かな?。

オラにはこれができなかった・・・。

信頼できるブリ-ダ-を青森近郊に確保できがたいのもあるし、心からやはり信頼できないからだ。

親しい仲間内で虫の出どころも飼育状況も把握できてて、なおかつこの人物なら間違いないと判断した場合は虫のやりとりもしたし、販売に乗せたり販売委託品として扱ったりももしたけど、それでは専属ブリ-ダ-とは言えない。

これをやってくれと渡した専属ブリ-ダ-が例えば仮に横流ししても、違う血統と掛けても、累代や産地を誤魔化しても把握もしてないし気にもしない商売なんぞ吐き気がするわ。

だけど、これを平気でやってる業界人が一番しぶといというのもこの業界の闇の真実の一部でもあります・・・。

当店の沿革並びに今後の方向性

 

何となく体調その他に不安を覚えた令和元年。

その日は突然来てあっけなくぶっ倒れた。

以前からもしそうなったら余命というか、どう生きるべきで商売も続けるならどういう形態が望ましいのかと考えてはいた。

そして自分が考えるよりも早く唐突に審判の日が来た。

そこでオラもさすがに考えた。

①店舗営業販売は年齢や周辺環境からもう無理。

②生体は低温に強い国産品中心にシフト。

③今まで以上に青森県産WDを中心にした生体の品ぞろえ。

④体への負担を抑えるべくネットショップとする。

決断してからの行動は割と早かった。

高校の同級生で青森市の何でも屋では一流(自称)というかっちゃんに連絡、見積もりしてもらって店舗のクロ-ジングまで見立てた。

 

元々前項①で書いた周辺事情に問題があった。

ここは大家さんの奥さんが趣味営業してた近所の小~中~高校生を見込んだファ-ストフ-ド店の作りで、何しろ駐車スペ-スがないのだ。

そのため大家さんの商売閉店後に借りた店舗はことごとく二か月~半年で撤退していった。

オラの店の来店客もいったいどこに駐車したらいいんだろうと思ったことだろう。

大家さんの営業時には自転車か徒歩で来店する子供たちがメインだからそれで良かったんだろうけどね。

オラの前に借りてた人はラ-メン屋で、青森でも雪の消える3月下旬?頃に開店して5月には撤退してた(笑)。

前年度から貸店舗を探してたオラだが田舎で条件も悪く、採算が採れる店舗はここしかないだろうと狙ってたわけだが意外にそのチャンスは早く訪れた訳です。

この地所が商売に向かないのは前述の通り駐車スペ-スが少ないことと、面した道路の交通量が非常に少ないにも関わらず不要にバス路線になっていることから冬季に僅かな降雪があってもすぐに除雪が入るということです。

北国の除雪というものがどういうことかと言うと、まず早朝に自宅の除雪を1~2時間かけて片付けた上で、店舗の除雪に入るわけなんですが前日に綺麗に片付けて自分の車とお客さん用のスペ-スを2~3時間かけて確保してもその日に降雪があれば割と翌日にその倍以上の固く凍った雪を押し込められます(アッフ~ン)。

信じられますか?苦労して除雪した駐車スペ-スに翌日には高さ1メ-トル、奥に2~3メ-トル押し込めるんですよ?(しかも路面を削った大きな固い氷塊を・・・翌日出勤すると鉄スコップじゃないと崩せない雪壁が山盛りに奥まで

押し込められてるわけです)。

これは一体何の嫌がらせなんじゃ?俺が何か悪いことでもしたか?と市役所に問い合わせし、改善を求めますが要求が満たされたことはほぼありません。

これ以上は押し込めないでくれと置いた赤いコ-ンは翌日には無くなるし、こんな感じでお願いできないかとオペレ-タ-に缶コ-ヒ-を差し入れしたこともあるけどオペレーターも替わるし、担当業者も毎年替わるのでまるで効果なし。

大体が、本当は言いたくないけどオペレーターの技術が低すぎ!。

昔は土建屋の百戦錬磨のオペレーターが担当してた時は早いし綺麗だし『お主・・やるな!』という仕事をしてたもんだが、市が支払う手当が利益に満たないと敬遠されて代わりに参入したのが造園業者や自動車修理工場の業者。

自動車修理工場はほぼ論外で、造園業者は穴を掘るのは上手なんだけど面を搔くのは下手なんだな・・・。

上手下手のそれが後にどう影響するかというとスピ-ドもそうなんだが、へたくそがやるとどうなるかというと、玄関前の花壇を破壊してコンクリートブロックごと除雪してしまうということも起こる訳。

オラの筋向い前に住んでるお爺さん、実は青森の土建業界でこの人あり!と言われたオペレーターだったんだが、この家の花壇を破壊したのに俺がやったんじゃねェ!と担当オペレーターが言い張ったもんだから大変なことになったらしい。

結局その爺さんに確かな証拠を示され技術の未熟を指摘され、市の中間管理職は這う這うの体で誤り、保障したとのこと。

この後に技術が伴ってないかような業者に任せるとどうなるかというと、ここまでは削ってほしいところが果たされずその後の作業に影響したり住民の負担になり得るということであります。

 

 

近況報告】2019.12.26

 

まず、10月15日の夜中に大吐血して人生初の救急車で総合病院に搬送されるという憂えき目に遭いました。

その後も各種検査に通う日々が続いております。

吐血の原因はどうもタバコの吸いすぎで(1日約40本)肺から出血してたようです。

医者からいつから喫煙してたのかの問いに『二十歳から・・・』と答えたわけですが、勿論これは大嘘で14歳くらいからなんだな・・・(しかも親父の吸ってたハイライト)。

肺癌その他の疾病にかかる確率は一日当たりの本数×年数というごもっともな説明を受け、禁煙の為の入院治療を勧められたものの丁重にお断りし、現在はキャスタ-ウィンストンの1㎜gを一日一箱20本前後にチルチルミチルのフィルター付けて吸っております。

 

当初診てもらってた呼吸器内科で、その他の症状(胃液の逆流や嘔吐、眩暈と足元のふらつき、下痢などなどの諸症状を訴えたところ消化器内科にまわされ、検査したところ、貧血ではなくどうも酒の大量摂取が災いしているのではないかとの見立て。

肝機能の数値を表すγなんたらかんたらが通常値30~50以内が正常値らしいところ3,700なんぼを記録いたしました(パチパチ)。

あんた一体毎日なんぼ呑んでいるのかね?という問いに、一日焼酎をお湯割りで2~3合という真っ赤な嘘をつきました(フヒョ~♪)。

実際には1.8ℓの紙パック焼酎を二日で1本!でありました・・・。

医者からもう少し長生きしたければ今夜から直ちに禁酒して下さい!と言われたが『もう少し』ってどうゆう意味じゃい!と思いましたな。

その晩から思うところがあり、親子2世代に渡って溜め続けたガラクタを廃棄する作業にとりかかったのでありました。

同時に同夜から本当に断酒し、17~18歳から途切れることなく愛し続けた酒を断ったのです。

12月23日、消化器内科の診察にて採血検査したところγなんたらの数値が800なんぼまで落ちてました。

思わずうお~!と叫びたくなりましたが、正常値30~50なのですから喜ぶには値しませんね。

ただ、下痢が止まりました、胃液の逆流もなくなりました、眩暈と足フラフラもなくなりスタスタ歩けるようになりました。

やっぱ肝臓が疲弊してたのかねエ~。

 

ついでに言うと飲酒してた際には見向きもしなかった甘いものに目覚めてついつい買い物袋にスイ-ツなるものを忍ばせる事態に陥ったことも白状しておきます。

友人に『実はさ、今エクレアとか見ると我慢できなくて午後3時と夜中の12時に食べてんのよ』と言ったら『うェ~!似合わねエ~!見たくもねェ~!』と言われてしまいましたな・・・。

 

今回記事の本題はここからです。

優先順位という言葉があります。

一旦体や環境をリセットして再度道を歩もうと決めました。

今年のシ-ズンには念願であったかつて暮らした北海道採集遠征を達成したいし、ライフワ-クであった青森県のオオクワ生息分布地図の解明も推し進めたい。

そのためにまず体全体にチェックを入れてラストスパ-トに備えたいんであります。

そのために毎年初売りを楽しみにしてくれたお客様には申し訳ないのですが、今年は販売を見送らせていただきたいのです(病院通いのため既に商材集めもままなりませんでしたので・・・)。

来春3月下旬から4月にかけて再スタートできるように頑張ってみたいと思います。

 

店舗再開いたしました】2019.7.1

 

6月28日より営業を再開いたしました。

母の死でその後の相続手続きなどをしていた訳ですが、実は平成25年に亡くなった父の手続きも当時母がすでに認知症だったがためにできなかったのです。

なので一度に二人分の手続きをする羽目になり、市役所など何回も往復しました。

 

母の葬儀等を終えて分かったことがありますので書いておきます。

今回も葬儀屋さんから新聞のお悔やみの欄に載せますか?と聞かれたのでお願いしますと返答したところ、載せると金融機関の口座が凍結される可能性が高いので必要なら今のうちにおろしておいたほうがいいですよとのことだった。

ところが、親父の時は取引していた金融機関は全てノ-チェックだった。

今回、一緒に高校卓球部のコ-チをしている某信用金庫の支店長にインタビュ-したところ、彼の会社ではお悔やみ欄はチェックしており、口座の凍結もするとの返答。

しかし、実際には県内の地銀2社はやはりノ-チェックで、親父の死亡後に保険金の請求をした際に大揉めに揉めたY銀行だけが凍結されていた。

その際に結局死亡保険金も入院保険金も出ると店頭の職員が返答したのに書類をそろえて再び再訪したらどちらの保険金も本来の相続人である母が認知症になっているので出せないとなりトラブルになったものである。

この交渉時に実はオラ、その保険の条項を調べ上げて、事務管理者として認められれば死亡保険金だけは請求できると知った。

そこでまた店頭に行ったが相変わらず出せないと言ったことと、更にその上に虚偽の説明をふたつオラにしたのでさすがにブチ切れた。

この手続きを仙台の専門部署に聞いてみろ!それからさっきの説明に嘘がふたつある!と指摘したら口をアングリと開けていた。

その後この件を解決した後に店頭職員はこう言った。

父の入院保険金は要綱を満たしている限りいつまででも請求できると。

だが、今回母の手続きに自宅に来た専門部署の人によってこの説明はトラブルを起こしかねない極めて不親切な説明だったことが明らかになった。

その専門部署の人の説明では

①基本的には死亡後に請求できる期間は5年。

②入院の証明書があるかどうか(つまりその病院にカルテが残っているか)が重要

とのことだった。

実際には8年経過した案件に出した事例もあるとのことだったが、とっとと手続きしたほうが良いということになる。

そしてこの会社の説明はまるであてにならないから事実を文書でとるか、録音しておくことをお勧めします。